映画『楽園』の意味わからない部分を解説!犯人やあいかは生きてるのか?モデルとなった実話事件についても
2019年10月18日公開。
『怒り』や『悪人』などのベストセラー小説を生み出してきた吉田修一の原作小説を実写映画化。
原作小説は『犯罪小説集』という、それぞれ話が違う5つの短編小説となっていて、そのうち「青田Y字路」と「万屋善次郎」の2つの短編小説を合わせて『罪』『罰』『人』の3章で構成した映画となっています。
目次
映画『楽園』が意味わからない?犯人やあいか生きてる説を解説考察
意味わからない部分を解説
本作『楽園』について、少女失踪事件の犯人として疑われた挙句に焼身自殺を遂げてしまう中村豪士を演じた綾野剛さんや友人の失踪について罪の意識を持ち続け、心を閉ざしながら生活をしている湯川紡を演じた杉咲花さんなど、豪華な役者陣の熱演や閉鎖的な田舎をリアルに描いた人物描写などを高く評価する声がある一方、意味が分からないという感想を持つ方も多数おられました。
なぜ、意味が分からないという声があがってしまうのでしょうか?
その理由について考察していきたいと思います。
犯人は誰だったのか?
意味が分からないという声があがってしまう理由については、少女失踪事件の犯人が誰か分からないという点が大きいと思います。
映画の終盤で紡が豪士の母親に会いに行くシーンで遂に事件の真相が明らかになるのではと思った方も多いと思いますが、明らかになったのは豪士のアリバイが成立しておらず、失踪事件の前に少女・愛華と出会っていた事実だけで実際に豪士が犯人だったのかの真相については明らかになっていません。
果たして誰が犯人だったのか?考察していきたいと思います。
青い車の人物
誰が犯人だったのかについては定かではありませんが、おそらく後に善次郎が飼うことになる犬・レオを捨てに来た青い車の人物が犯人である可能性が高いと思います。
おそらく豪士は愛華が青い車に連れ去られる様子を目撃したのではないかと思いますが、その様子をただ見送ったのだと考えられます。
外国人移住者の母親と楽園を求めて日本にやってきた豪士ですが、町では疎外されており、この町に住む大人たちは全員敵だと考えていました。
そんな自分に声をかけてくれて、シロツメクサの王冠をプレゼントしてくれた少女・あいかに感動し、優しい心を持つあいかもこの町で生活をし、大人になれば敵になってしまうと考えた豪士はあいかが違う町に住むことになれば、大人になっても自分の味方になってくれると思い、車に乗り込むあいかを見送ったのではないかと考察できます。
そんな豪士でしたが、この町で育ち、大人になっても優しい心を持って自分の味方でいてくれた紡と出会い、自分の考えが間違っていたことに気付いたのだと思います。
豪士が犯人だった?
青い車に乗った人物が犯人である可能性が高いと思いますが、豪士が犯人だったのでは?という説もあります。
閉鎖的な町で唯一自分に優しくしてくれた愛華に付いていった豪士は急に愛華に拒否反応を示されたため、その現実が受け入れられず殺害してしまったという動機が考えられます。
ただ、豪士が12年間も罪を隠しながら生活できるような器用な人物ではないと思いますので、この可能性は低いと考えられます。
あいかは生きてるのか?
行方不明になった愛華が今も生きているという説もあります。
東京で広呂と飲みに行った紡が繁華街で「愛華」と呼ばれる同い年くらいの女性を目撃するシーンがあったことからこの説が浮上したと思われますが、あいかに生きていてほしいと切に願う紡の願望が具現化されたシーンである可能性が高く、行方不明になったあいかが生きている可能性は極めて低いと考えられます。
財布について
映画の終盤で、豪士の母親に会いに行く紡。そこで豪士の車の中に忘れていた財布を渡されますが、その中には豪士からの手紙が入っていました。
どんな内容だったのか、解説していきたいと思います。
手紙には、「つむぎさんが悪いのじゃない」という内容が綴られていました。
車で送った際に、紡があいかの行方不明事件の看板を見て、事件に対しての思いを語り、事件についての後悔を口にしていることを目の当たりにした豪士は紡が罪悪感から解放されるようにこの手紙を書いたと考えられます。
豪士が犯人だったのか、それとも青い車に乗った人物が犯人だったのかについては定かではありませんが、いずれにせよ、豪士は事件の真相について知っていたのだと思います。
閉鎖的な町で自分に優しくしてくれたのは、行方不明になったあいかと紡だけだったことから、豪士はこの二人に対してはとても大切に思っていたのでしょう。
豪士の母親がなぜこの財布を大切に保管していたか、その理由は誰とも交流せずに孤独に生活していると思っていた息子の豪士が誰かと繋がっていたという事実が喜ばしく感じたからだと思います。
豪士があいかの事件の犯人だったのかどうかについては、母親も分からないままだったと思いますが、半信半疑の状態でもしかしたら実の息子が殺人犯だったのかもしれないという気持ちを持ったまま母親が生活していると思うと、なかなかに辛いものがあります。
原作と実話について解説!モデルとなった事件とは?
原作は吉田修一さんの短編集「犯罪小説集」
本作『楽園』については、人気小説家である吉田修一さんの短編集「犯罪小説集」が原作となっています。
「犯罪小説集」の中に収められた「青田Y字路」と「万屋善次郎」という二つのエピソードを組み合わせたストーリーが映画『楽園』の内容となっていますが、原作小説では関連性はなく、映画では上手く組み合わされてストーリーが形成されています。
原作「青田Y字路」は、映画と大きな結末は違いはなく、あいかの細かい事件の概要や誰が犯人だったのかなどは明らかになりません。
また、原作「万屋善次郎」についても映画と結末はほとんど変わらない展開になっています。
ですが、映画ではメインキャラクターであった紡が、原作小説ではほとんど出番がないキャラクターになっていたりと、映画と原作で少しずつ違う部分もございますので、他の視点で描かれる部分を知りたいという場合は、ぜひ原作小説を読んでみてください。
新しい発見が待っているかもしれません。
原作となった「青田Y字路」と「万屋善次郎」にはモデルになった実話がございますので、紹介していきたいと思います。
モデルになった事件
北関東連続幼女誘拐殺人事件
原作小説である「青田Y字路」のモデルになった事件が1979年から1996年にかけて発生した北関東連続幼女誘拐殺人事件です。
1979年から1996年にかけて栃木県と群馬県で発生した5件の誘拐及び殺人事件をまとめた呼び名となっており、死亡者は4名~7名と見られております。この事件では犯人が冤罪で逮捕(後に釈放される)されるという映画と同じような展開になっています。
犯人はいずれも捕まっておらず、5件中4件はすでに時効が成立している状況となっています。
山口連続殺人放火事件
原作小説である「万屋善次郎」のモデルになった事件が2013年7月21日に発生した山口連続殺人放火事件です。
当時・集落の住民であった63歳の男性が近隣の高齢者5人を殺害し、放火した事件となっています。
犯人は両親の介護のために帰郷し、原作の善次郎と同じように近隣の家の修繕なども行っていたようです。
善次郎と同じように、村おこしを提案した直後から近隣住民とのトラブルが相次ぐようになり、孤立した生活を送っていたことが事件につながっていったと推測されています。
原作では善次郎は自殺を図りましたが、実際の事件では犯人は警察に捕まり、2019年に上告棄却により死刑が確定しています。
映画『楽園』のあらすじ
『楽園』のあらすじ|同級生の行方不明事件から心を閉ざし続ける湯川紡
ある地方都市で小学生の愛華が行方不明になる事件が発生します。
必死の捜索にも関わらず、愛華は一向に見つかりませんでした。
それから、12年が経過し、事件が発生する直前まで一緒に下校していた湯川紡は事件以来、罪悪感を抱えており、現在は地元のホームセンターで働いていました。
幼馴染である野上広呂は紡を気にかけますが、一向に心を開こうとはしませんでした。
地元での祭りの練習の後、自転車がパンクして困っているところを中村豪士という青年が通りかかり、車で送って行ってくれることになります。
豪士は海外から移住してきた母親とリサイクル販売を営んでおり、12年前の愛華の捜索にも協力していました。
車での送迎をきっかけに豪士と親交を深めた紡は祭りに誘いますが、祭りの当日になり、またもや少女が行方不明になる事件が発生します。
捜索隊が結成される中、紡の父親は豪士のことが怪しいと伝えると、全員が賛同し、強制的に豪士の家に押し入ります。
『楽園』のあらすじ|悲惨な最後を遂げてしまう豪士
豪士はパニックになり、近くの飲食店に逃げ込み、追い詰められた挙句に灯油を撒き散らし、ライターに火をつけて焼身自殺を図るのでした。
飲食店が火に包まれた直後、行方不明になった少女が発見されたという知らせが流れます。
紡は豪士の事件によって再び心を閉ざし、地元を離れて東京の青果で働くようになりました。
Uターンで地元に帰って来た田中善次郎は妻に先立たれ、養蜂場を営みながら犬のレオとともに暮らしていました。
村のために何か出来ないか一生懸命な善次郎は万屋として村人の助けになり、長老の娘でシングルマザーの黒塚久子はそんな善次郎に惹かれていました。
養蜂場で村おこしをしたいという提案に寄合で賛同を得た善次郎は早速役場に相談に出かけます。
『楽園』のあらすじ|村八分に遭い、遂に村人を殺害してしまう善次郎
先走って役場に相談を持ち掛けたことを閉鎖的な村人は良く思わず、その件から徐々に善次郎は村八分に遭うようになり、久子も長老から善次郎とは関わるなと言われます。
次第に村八分はエスカレートし、善次郎は家で閉鎖的な生活を送るようになります。
レオの散歩は禁止され、妻の墓には赤いペンキをかけられる始末。
終いには、妻の遺骨を埋めた敷地が重機によって荒らされてしまい、遂に善次郎の感情が爆発してしまいます。
善次郎は久子の両親を含む6人の村人を殺害し、自身も山中で自殺を図りました。
残されたレオは犬小屋の中で善次郎の帰りを待っていました。
村は警察とマスコミで大パニックとなります。
一方、紡は自身の過去と向き合うために豪士の母親の職場を訪れ、愛華の行方不明事件の真相について話を聞くのでした。
映画『楽園』の感想評価とみんなの口コミ評判レビュー(※ネタバレ有)
感想評価(※ネタバレ有)|田舎特有の排他的な雰囲気が見事に表現された鬼才・瀬々敬久監督の話題作
本作『楽園』は、代表作『横道世之介』や『悪人』などで高い評価を集める人気小説家・吉田修一さんの短編集である「犯罪小説集」を実写映画化した作品となっています。
監督を務めたのは、『ヘヴンズストーリー』や『友罪』など数多くの話題作を発表する鬼才・瀬々敬久監督で今作も第76回ヴェネツィア国際映画祭公式イベントに出品されるなど話題を集めました。
本作は「罪」「罰」「人」という三部構成に別れて映画が展開され、「罪」では行方不明になった少女・愛華を殺害した犯人と疑われ、焼身自殺を図る綾野剛さん演じる中村豪士、そして少女が行方不明になる前に一緒に下校していたことから罪の意識を抱きながら生活を送る杉咲花さん演じる湯川紡の姿が中心に描かれます。
そして、「罰」ではUターンで村に帰って来た養蜂場を営む佐藤浩市さん演じる田中善次郎が些細なトラブルをきっかけに村八分に遭い、村人を殺害するまでの経緯が描かれ、最後の「人」ではそれぞれの事件を経験した村人や紡の姿が描かれていきますが、とにかく全体的なトーンとしては暗く、救いようがないです。
外国人の母親とともに「楽園」を求めて日本にやってきた豪士は迫害のような差別を受け、楽園などどこにもないことを知ります。
一方、地元を「楽園」のように感じ、村人たちのためにと利他の精神を持つ善次郎が村八分に遭うようになり、「楽園」が「地獄」のように変わっていく悲劇を経験します。
この二人のシーンでは、田舎特有の排他的な雰囲気や人々の外国人への差別意識などがリアルに描かれており、精神的に苦しくなってしまうという方も多くいると思いますので、鑑賞には注意が必要です。
作品の唯一の希望として描かれるのが、紡ですが、愛華が行方不明となり、愛華の祖父である五郎からひどい言葉を浴びせられたことなどから12年もの間、ずっと罪の意識を持って誰にも心を開くことなく生活をしていました。
追い打ちをかけるように親交を深めていた豪士が焼身自殺を図ったことから、ますます閉鎖的になっていきますが、自分のことをずっと気にかけてくれた幼馴染の広呂との交流をきっかけに少しずつ前を向くようになり、失踪事件の真相を聞くために豪士の母親のもとを訪れ、豪士と愛華が出会っていたことが明らかになりますが、豪士が犯人だったかどうかについては結局明らかになることはありません。
ただ、この作品は誰が犯人だったかどうかについては重要ではなく、人々がそれぞれの居場所を持つことの過酷さが大事なメッセージとして切実に伝わってきます。
自分たちの「楽園」を守るために、邪魔者を排除しようと、善次郎や豪士を迫害する村人たちはとても残酷に見えますが、彼らも自分たちの居場所を守るために必死であるが故の行為であることから全てを責めることは出来ません。
そんな村にずっと違和感を抱いてきた紡が過去と向き合って前を向き、自分の居場所を必死で作ろうと動いている姿に前向きな印象を抱くことが出来るラストで映画は終わりを迎えます。
鑑賞してポジティブな気持ちになれる作品ではありませんが、これまで数々の人間ドラマを描いてきた瀬々監督だけあって登場人物のリアルな感情描写は一見の価値があります。
演技派キャストの熱演とともに楽しんでみてはいかがでしょうか。
映画『楽園』の皆んなの口コミ評判レビュー
★★★★☆星4
映画『楽園』は見終わってから重たく心に深く残る作品でした。
綾野剛さんが演じた主人公の孤独感や閉鎖的な村社会の息苦しさが映像を通してでもしっかりと伝わってきました。
特に村八分という重いテーマが深く掘り下げられていて、今の社会でも決して無縁ではない問題であると感じられました。
主人公が村から孤立していく様子は見ていてとてもつらく感じられましたが、それと同時に人間の心の闇や心のもろさをうまく表現されていたので、とても考えさせられる場面も多かったです。
映画の後半では過去と現在の出来事が複雑に絡み合って真相が明らかになっていく部分はサスペンスドラマのようにハラハラドキドキさせられました。
原作の世界観をうまく映像として表現できていたので、吉田修一ファンとしては、とても満足して楽しめる作品でした。
40代男性
★★★★☆星4
杉咲花が演じる主人公が置かれた環境は特殊過ぎて、もし自分がその立場に置かれたらどのような気持ちになるかの想像がつきようもないと思いました。
被害者が自分でなくて良かったと素直に思えることは決してなく、自分が被害者にならなかったことに罪の意識を強く感じて、その思いを引きずって生きていくのは、なんとも形容しがたい息苦しさを抱え込むことになるのであろうと思いました。
そして被害者の親が、誰かのせいにしたい、犯人である確証がなくても誰かを犯人と決めつけて、その人物を責めるのは、そうすることで娘がいなくなった事実に向き合う上で、心のバランスを保つために必要な行為なのであろうと思いました。
しかし、それは冤罪を生む行為であり、自分には決して同意できないと思うのは、自分がその当事者でないから理性的にそう思えるのだろうとも感じました。
50代男性
★★★★☆星4
綾野剛さんのファンで特に下調べもせず視聴しました。
正直後悔しました。
重く鬱々とした雰囲気が大半で、杉咲花さんのシーンがなかったら観るのを止めていました。(明るい話ではないですが、杉咲さんの笑顔が一時の清涼剤になっています。)
特に佐藤浩一さんのラストは本当に見ていて辛くなりました。
考えさせられる作品、一度見ただけでは理解仕切れない部分もありますが、もう一度見ることは不可能…。
しかしこの目を背けたくなるようなことは誰しもがいつ現実に降りかかってもおかしくないことであると思いました。
理不尽に向けられる敵意。自分の味方は0ではないけど、敵は圧倒的に多い。
そんな中でも人を恨まず、お天道様の下を歩き続けられるような人間でいたいなと考えてさせてくれる作品でした。
30代女性
★★★★★星5
世界中のどこにでも起きうる物語を題材にしている貴重な作品だと思います。
犯人かどうかわからない人を追い詰めた結果、その人が壊れている・変貌していく姿はリアル過ぎて怖かったです。
人が犯罪者になるには理由があって、そのプロセスに自分たちが加担している可能性があることを考えるとゾクッとします。
人を犯罪者に駆り立ててしまう可能性がここまで高いとは…リアルに実感させられました。
田舎で起きた事件を基にしていると思われますが、都会でも起こりうると思う。
生々しいテーマを題材にしている作品なので、人によって感じ方が違うかも知れません
。それでも、こういった難しい題材にチャレンジした瀬々敬久監督にエールを送りたいです。
30代男性
★★★☆☆星3
『怒り』や『悪人』の吉田修一の短編小説2編を監督がひとつにまとめて映画化した形式の映画です。
正直辛い話ばかりなので、最後の方は、辛くて辛くてしょうがありませんでした。
最初は好奇心をもって見れていたのですが…。
特に村八分の描写は、自分が過去受けていたいじめ体験がフラッシュバックしたこともあって、途中で視聴を断念しようと思ったくらいには辛かったです。
とはいえその分、犯人側にかなり感情移入できる作りになっていたのはよかったです。
しかしどんな理由があってもやっぱり犯罪は犯罪なので、犯人を正当化するような作りには少しもやったり。
私が原作を読んでいないこともあって、メッセージ性がよくわかりませんでした。
それはやっぱり駄目だったと思います。
20代女性