『ファイトクラブ』でラストなぜ死なない?石鹸や目を開いてるの意味などを徹底解説&考察してみた【あらすじネタバレや感想評価も】
1999年12月11日、日本公開の映画『ファイトクラブ』。
1995年の衝撃的作品『セブン』のデヴィッド・フィンチャー監督が1999年に発表した『ファイト・クラブ』は、ブラッド・ピット主演のまたもや衝撃となる作品となりました。
ブラッド・ピットとエドワード・ノートン主演、監督はデヴィッド・フィンチャーという豪華なメンバーで制作されたアメリカ映画の『ファイト・クラブ』は、映画好きをうならせる作品としても公開から年月を経った今でも語られています。
『ファイト・クラブ』の口コミ評判レビューには、
- とにかく最高
- どんでん返し系が好きな人はハマる
- 印象に強く残る映画の1つ
- 最後の結末は衝撃
- ハチャメチャなブラッド・ピットにも要注目
- ぜひ二度見て欲しい映画
- 中盤からラストにかけての衝撃の展開は忘れられない
- ネタバレを踏まずに衝撃を味わって欲しい作品
という声が多数集まっています。
- 映画『ファイトクラブ』でラストになぜ撃ったのに死なない?
- 映画『ファイトクラブ』の「俺は目を開いてる」のセリフの意味は?
- 映画『ファイトクラブ』の石鹸を使用する意味について解説考察
- 意味不明?ファイトクラブは何を描いた映画だったのか解説
- 映画『ファイトクラブ』のあらすじ
- 映画『ファイトクラブ』の感想評価
- 映画『ファイトクラブ』のみんなの口コミ評判レビュー(※ネタバレ有)
もし、まだあなたが一度も映画『ファイトクラブ』を観ていないなら、まずはネタバレとあらすじ・感想評判の前に作品を観ておくことをおすすめします。
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目次
映画『ファイトクラブ』で撃ったのにラストなぜ死なない?
映画『ファイトクラブ』のラストで、なぜ撃ったのに死ななかったのか?ということが気になりますよね。
「ラストなぜ死なないの?」という疑問は最もだと思います。
では、ラストなぜ死なないのかということについて、詳しく解説していきます。
管理人
物語のラスト、自分のもう1つの人格であるタイラー・ダーデンの暴走を止めるため、主人公は拳銃(S&W4506)を口に咥え自殺を図りました。
しかし、確かに引き金を引き弾丸は発射されたのに、主人公は大けがを負いつつも生きています。
その前に妄想と現実が交差するこの作品では、どこまでが現実のパートなのかを確認する必要があります。
そもそも主人公は本当に自分で自分を撃ったのでしょうか?
この点は、スペースモンキーたちやマーラが傷に驚いているので現実ということになります。
妄想は飽くまでタイラーとのやりとりについてなので、第三者の反応は全て現実と解釈してよいでしょう。
そして、撃ったのに死ななかった理由としては、銃口の角度がずれ、弾丸が脳天でなく左頬を貫通したからと考えられます。口から後頭部を撃つ場合の拳銃自殺は一般に成功率が高いのですが、そもそも主人公の人格では銃器の扱いに全く慣れていないはずです。
そこで、手元が狂ったり、また発射の反動を抑えられなかったりしたとしても、不自然ではありません。
さらに、よく見ると銃身の浅い部分を咥えており、なおかつ口の中に入れた瞬間撃っているので、よく狙いを定めてもいなかったのです。
主人公の傷口については、左頬上部を抑える描写があるので、そこから弾丸が貫通したとみることができます。
管理人
また、撃った弾丸はたまたま軌道を逸れましたが、それは故意に外したわけではなく、主人公が本当に自分の命と引き換えにタイラーを消す覚悟で引き金を引いたことで、彼はタイラーを克服(=統一)したのです。
もしブラフであったのならタイラーは消えなかったでしょうし、そもそも自分を偽ることはできません。
それ故に主人公が生き残っても、タイラーは消え去ったのでしょう。
映画『ファイトクラブ』で「俺は目を開いてる」というセリフについて詳しく解説
次に、映画『ファイトクラブ』のラストシーンのタイラーのセリフ「俺は目を開いてる」の意味を考察&解説していきます。
主人公はタイラーを消すため自らを銃で撃つ直前、こう言いました。
「タイラー、しっかり聞けよ。僕は目を開いてる。」
分かりづらいことの多い映画『ファイトクラブ』ですが、このセリフもまた何を意味しているのでしょうか?
管理人
実は、そのヒントとなる描写が直前のシーンにありました。
主人公はタイラーに銃を突きつけられて無抵抗の状態にありましたが、「落ち着け、これは妄想だ。お前は幻だ。銃なんか持ってない。俺が持ってる」と現実を認識することで、タイラーから自分の手へと銃を移動させたのです。そもそも主人公もタイラーも同一人物なのですから、彼らが行動する時はどちらかの人格がメインとなっていたはずです。
頭の中で主人公とタイラーが対峙している時も実体は1つであり、どちらかが主導権を握っていることになります。
つまり、タイラーから主人公に銃が移ったということは、同時に主導権も明け渡されたということです。
管理人
では、主人公が自殺を図ることでタイラーは完全に消え、主人公の人格だけが残ったのでしょうか?
この点については疑問があります。
たしかにタイラーは主人公が覚悟して自分を撃った時点で、その存在を抹消されたも同然ではありましょう。
映像でも後頭部が吹っ飛び倒れた後は画面から姿を消しています。
しかし、その後タイラーの吸っていたタバコの煙が主人公の口から吐き出されたり、マーラに対して自信に満ち溢れた態度で「心配するな。僕を信じろ。これからは全てよくなる」と語ったことを考えると、タイラーは消えたというより主人公と合体・統合されたのではないでしょうか?
主人公は自分の中に理想像であるタイラー・ダーデンを作り出し、一時はその人格に支配されそうになりました。
しかし、最終的にはそれを克服し、乗り越えたと解釈できるのです。
見方を変えれば、タイラーの危うさも持ち合わせているということでもあります。
管理人
ファイトクラブ|石鹸を使用する意味について考察して解説
では、映画『ファイトクラブ』で、なぜ石鹸を使用していたのか?についても、徹底解説していきます。
映画『ファイト・クラブ』では劇中、石鹸が度々登場します。
謎の男タイラー・ダーデンの生業は石鹸の製造・販売であったし、ファイトクラブが次第に私設軍隊スペースモンキーへと変容していってからも、石鹸は組織的に製造され続けました。
また、ポスター等のキービジュアルをご覧いただくと、いずれにも「ファイト・クラブ」のタイトルロゴが石鹸に刻まれていることが分かります。
それだけ石鹸はこの映画の核となるアイテムということなのでしょう。
管理人
では、映画『ファイトクラブ』において石鹸は何を意味しているのでしょうか?
タイラーは語りました。
その昔、生贄が焼かれた灰が川に流れ灰汁となり、さらに流れてきた生贄の脂肪と混ざることで石鹸が完成した、と。
人々がその天然の洗浄成分が発生する川のポイントで洗濯をするようになったのが、石鹸の始まりだというのです。
そして、「最初の石鹸は英雄(最初に宇宙に打ち上げられた猿のような)の灰から生まれた」、「痛みと犠牲なしには何も得られない」、と言っていきなり主人公の手を薬品で焼き始めました。
この一連のセリフは字幕では大幅に省略されているので、吹替の方が分かりやすいです。
管理人
逆に言えば、成果を得るためには苦痛や犠牲といった代償を払わなければならないということでしょう。
さらに別の視点から見れば、石鹸は「消費社会への皮肉」でもあります。
なぜなら、石鹸を買い求める富裕層の脂肪こそが、その原材料でもあるからです。
消費社会の旗振り役である富裕層は金に飽かせて欲望のままに貪食し、その結果溜めこんだ脂肪を大金をかけて美容外科で吸引し、挙句の果てにその脂肪を買い取らされているわけです。
何ともグロテスクなリサイクルの構図ですが、実に滑稽で強烈な皮肉となっています。
また、もう1つ付け加えるなら石鹸は「反逆の力」にもなるのです。
管理人
タイラーも少し説明していましたが、石鹸を製造する過程では油脂を脂肪酸とグリセリンに分解します。
そのグリセリンに硝酸、硫酸を反応させればニトログリセリンとなり、それをおがくずに浸みこませればダイナマイトの完成です。
タイラーたちはメイヘム計画で、そうやって作った爆発物を使用していたのでしょう。
この手製爆弾の恐ろしいところは、知識さえあればコストをあまり必要としないこと、つまり何も持たざる者でも強大な力を手中にできる点です。
最終的に彼らはテロリズムという過激な方法で世直しを企てることになりましたが、どん底にある者が放つ体制を転覆させる一撃もまた石鹸から生まれたのです。このように、石鹸は「ファイト・クラブ」の思想を象徴するアイコンであるからこそ、様々なシーンで登場するのだと考えられます。
ファイトクラブが伝えようとしている3つの大切なメッセージとは?
『ファイト・クラブ』ほど賛否が激しく分かれる映画も、そうはないでしょう。
人によっては暴力やテロリズムを肯定した危険なテーマと見る向きもありますし、極端な男性性の強調にマチズモ(和製英語でいえばマッチョイズム)の賛美や、同性愛の要素を感じ取る場合もあります。
ある評論家はファイトクラブをマッチョ・ポルノと酷評しましたが、実際に原作者のチャック・パラニュークは同性愛者でもあります。
管理人
興行的にも失敗し、配給会社の20世紀フォックスでは何人もの重役の首が飛んだそうです。
しかし、その一方では、2008年イギリスの映画雑誌「エンパイア」がおこなった「過去最高の映画500」のアンケートでは映画『ファイトクラブ』が10位にランクインし、同誌の「最高の映画キャラクター100人」ではタイラー・ダーデンが1位となる等、熱狂的な支持をされているのも事実です。
なお、2023年現在においてもIMDb=インターネット・ムービー・データベースサイトにおいて12位という人気ぶりです。
管理人
このように評価が二分する原因は、映画『ファイトクラブ』は視聴者を困惑させ考えさせるような作品であることです。
一見しただけでは意味不明であり、単純明快なテーマがあるわけでもありません。
むしろデヴィッド・フィンチャー監督自身によれば、観客をうんざりさせるような、困惑させるような作品なのです。
では、このように人を混乱させる『ファイト・クラブ』とは、実のところ何を描いた映画だったのでしょうか?
管理人
私は、映画『ファイトクラブ』には3つの伝えたいメッセージがあると考えています。
①物質主義(消費社会)への批判
まずハッキリしているのは物質主義、消費社会への警鐘です。
主人公である「僕」は、それなりにの職に就き裕福な暮らしを送っています。
しかし、仕事にやりがいを見いだせず、生きている実感にも乏しく、ストレスは北欧家具を買うことによって発散していました。
その虚しさからなのか彼は不眠症も患っており、「睾丸ガン患者の会」において死の淵に立たされた人々と接することによって「生」を実感しないと安眠できない、という身体的にも倫理的にも極めて不健康な状態にあります。
主人公は所有物によってしか自分を表現できず、冷蔵庫も調味料ばかり(つまり調理ができない)、不必要な物で満たされた空虚な人間でした。
ところが、そこにタイラー・ダーデンが登場し、日々の生活や価値観が180度ひっくり返っていくわけです。
管理人
タイラーは言います。「お前は物に支配されてる」「職業が何だ。財産が何の評価に?車も関係ない。人は財布の中身でもファッションでもない。お前らはこの世のクズだ。」
とにかく彼は劇中で何度も、金や物で満たされることの空虚さを説き、何も持たないどん底を経験して成長や進化することの大切さを訴えます。
これには多くの人が「我が意を得たり」と思ったのではないでしょうか?
管理人
例えば日本において、まさしく空虚な実体のないバブル経済による拝金主義…それこそタイラーの批判するハイブランドで着飾り、高級車を乗り回し、資産=人の価値とするような風潮があったのは、それほど昔のことではありませんでした。
公開時はすでに平成不況の時代ではありましたが、我々観客は前々から感じていた疑問についてタイラーから喝破され、既存の価値観をブチ壊そうとする彼に快哉を叫んだのです。
また、現在はインターネットの普及によって、消費者が昔のようにマスコミに踊らされることなく必要な物を吟味するようになりましたが、逆に新たな拝金主義が生まれてはいないでしょうか?
ビジネスや投資でひと山当てた者たちが強い発信力を持った結果、そこに法的にグレーなものや倫理的にアウトなものが含まれていても時代の寵児とばかりに持て囃され、手放しで賞賛されてはいないでしょうか?
ネットでサイドビジネスをしなければならない、投資をしない者は愚かだ、とにかく稼いだ者が偉い、そんな強迫観念はタイタニックと一緒に海に沈めばよろしい。
法の不備をついて儲け、人から搾取して持たざる者を嘲笑い、そこに人間としての成長や進化があろうはずもありません。
何者かになることを強要される世の中で、自分は何者でもないことを自覚する。
それは「無知の知」に近いのかもしれません。
現代においてなお、タイラーの言葉の一つ一つが色褪せないことを実感します。
管理人
②父親不在のジェネレーションXと痛みによる通過儀礼
果たして映画『ファイトクラブ』は、批判者の言うような暴力賛美の男性優位主義だったのでしょうか?
確かに、映画『ファイトクラブ』はタイトルからして物騒ですし、暴力描写も少なくありません。
それに作品内では執拗なまでに男性の象徴についての言及がみられます。
しかし、これらは果たして肯定的に描かれていたでしょうか?
映画を最後まで観れば、暴力や男らしさといったものはむしろ否定されていることが分かります。
『ファイト・クラブ』における男らしさへの渇望は、いわゆる「X世代(ジェネレーションX)」と呼ばれる層を代弁したものです。
「X世代」とは、主にアメリカを中心とした欧米諸国において、1960年代中盤から1970年代終盤に生まれた世代のことで、原作者のチャック・パラニュークはこの「X世代」の代表的作家と目されています。
フィンチャー監督やブラッド・ピット、エドワード・ノートンもこの世代と言えるでしょう。
劇中、タイラーと主人公が誰と戦いたいかを話していた時、タイラーは「親父」と答えました。
管理人
彼は「俺たちは母子家庭世代」だとして、「母親の後は女房だなんて最低だよ」と父親の不在を嘆きます。
「X世代」では親の離婚率が上昇し始め、離婚をしなくとも父親は仕事に時間を割かれ、父と子の関係が希薄になってしまいました。
心理学者ジークムント・フロイトの提唱したエディプス・コンプレックスの概念によれば、男子は成長の過程で父親を敵視しますが、最終的には父親のようになろうとすることで男らしさを取り入れ、コンプレックスを克服します。
父親不在のX世代は、その得られなかった男らしさを戦うことで獲得しようとしたのです。
管理人
また、もう一つの問題である「暴力」ですが、これは自己破壊の手段であり、大人の男になるための通過儀礼だと考えられます。
フィンチャー監督自身も映画『ファイトクラブ』が通過儀礼についての映画であることを語っています。
そもそも「ファイト・クラブ」での暴力は、常に他者でなく自分に向けられていました。
タイラーは最初に主人公に自分を殴るよう強要し、酒場のオーナーと揉めた時も一方的に自分を殴らせました。
クラブのメンバーにも同様に自分が殴られる宿題を課し、極めつけは自分の手を苛性ソーダで焼くことまでしました。
痛み・犠牲によって自分を破壊し成長させることが目的ならば、戦うことは痛みを得る手段であったのです。
ただし、その暴力が他者に向けられることを、この映画では決して良しとしていません。
主人公がファイトでエンジェル・フェイス(ハンサムな金髪のメンバー)を完膚なきまで叩きのめした時、場は陰惨な空気に包まれ、タイラーは「気が済んだか?サイコ・ボーイ」と罵りました。
行き過ぎたメイヘム計画でさえ、タイラーとスペースモンキーたちは一般人を傷つけることを決してしませんでした。
何より、映画『ファイトクラブ』が男らしさや暴力を肯定しているなら、タイラーが倒される理由がありません。
管理人
タイラーは主人公の理想を具現化した存在なので、男らしく自身に溢れ、鋼のような肉体を持ち精力絶倫です。
おまけに全く新しい独自の哲学を持ち合わせ、カリスマ性にも満ちています。
ところがタイラーは暴走していき、カルトじみた私設軍隊スペースモンキーの創設やメイヘム計画という名のテロリズムに事態が拡大するに及び、最初は心酔していた主人公も彼を否定し、ついにはこれを克服したのです。
過剰に男らしさを求める行為、テロリズムによって世の中を変える行為は否定されたということです。命を賭けたタイラーとの対決も、また通過儀礼の一つでありましょう。
それを乗り越えて主人公はこれまでと違う一段上の人間になれたのです。
管理人
このように映画『ファイトクラブ』は、痛み・犠牲を恐れるな、というメッセージを送ってはいても、テロリズムや男らしく暴力的であることを決して肯定などしていません。
③持たざる者(弱者)を勇気づける前向きさ
タイラーらによるイタズラとも破壊工作ともつかぬ行動の中に、彼の信条をとりわけ端的に現したものがあります。
タイラーがしがないコンビニの店員レイモンドに銃を突きつけ、本来なりたかった職業が獣医であることを聞き出すと、「6週間後に獣医の勉強をしてなきゃブッ殺す」と脅す場面です。
意味不明な行動と思いきや、彼はこう続けます…「明日はレイモンドにとって最高の朝になるだろう。朝飯だって俺たちが食ったどんなご馳走より美味いはずだ」。
つまりタイラーは夢をあきらめ安逸な日常に埋没してしまった若者を、過激な手段で生まれ変わらせたのです。
管理人
ストーリー上ではさして重要でないこのエピソードにこそ、映画『ファイトクラブ』のエッセンスが詰まっているのではないでしょうか?
思えば、ファイトクラブは常に弱者の視点でした。
クラブのメンバーも社会的地位の低い者ばかりです。
その持たざる者たちに対して映画『ファイトクラブ』は、「残された人生の持ち時間はいつかゼロになる。だから限られた時間の中で他人の作った価値観に囚われることなく、自分の本当に為すべきことを為せ」と鼓舞しているのです。
そこが、『ファイト・クラブ』がカルト的人気作たる所以でしょう。
管理人
また、特に原作と比べて映画はより明るく前向きなラストとなっています。
原作ではカード会社の爆破は未遂に終わり、主人公は精神病院送りとなり、最後は天国と思しき場所からの述懐で終わりました。
それに比べると、映画では主人公がタイラーとの対決の後に統合を果たし、消費社会の根幹を成すカード会社は爆破され、マーラとも良い関係を築いていくことを予感させるという、まさしく「心配するな。これからは全て良くなる。」のセリフ通りの未来を示唆するポジティブなラストシーンへと変更されています。
この部分について、ラストシーンの最後の一瞬、サブリミナル映像で男性器が映る直前に画面がブレることから、2人は爆破によって死んだとする解釈もありますが、この点は脚本担当のジム・ウールスが否定しています。
管理人
主人公たちがいたビルの爆破装置は解除してありましたし、スペースモンキーたちもわざわざ爆発に巻き込まれに集合するのは不自然です。
画面のブレは、悪戯のサブリミナル映像の前触れとなる演出でありましょう。
主人公の中にタイラーが存在することを感じさせ、またビル群の崩壊というハッピーエンドと言うにはあまりに不穏なラストですが、そこにはポジティブなメッセージを感じ取れます。
管理人
ファイトクラブは、映画も原作小説も難解で実にクセのある、パンチの効いた作風です。
しかし、ある意味人生を見つめ直す契機にもなり得る、人生のあり方を問うた作品でもあるのです。
『ファイト・クラブ』のあらすじ
(以下、映画『ファイトクラブ』のあらすじです。)
『ファイトクラブ』のあらすじ|不眠症に悩まされる主人公・僕
自動車会社のリコール部門で働く主人公の僕は不眠症に悩まされており、精神科を受診しておりましたが医師から睡眠薬は処方されず困っていました。
そんな中、医師の軽口を間に受けて患者を装って睾丸ガン患者のセラピーに行った僕は患者たちの苦しみを聞き、号泣しました。
すると、その日の夜はぐっすり眠ることが出来ました。
その日から様々な重病患者のセラピーに出席した僕は他人の苦しみを聞いて号泣することで安眠出来るようになります。
ですが、観光客気分で自分と同じようにセラピーを回るマーラ・シンガーという女性の存在を知ったことで僕はまた不眠に悩まされるようになりました。
マーラと顔を合わせた際にセラピーに参加しないように訴えますが、マーラが拒否したためそれぞれで出席するセラピーを分担することになりました。
『ファイトクラブ』のあらすじ|タイラーとの出会い
ある日、僕は出張で飛行機に乗った際に隣の席に座った石鹸の製造を行っているという派手な身なりをしたタイラーという男と親しくなります。
出張から帰ると、自分のマンションが何者かによって火災に遭って全焼してしまい、飛行機で知り合ったタイラーに連絡を取ります。
立ち寄ったルーの酒場というバーで大事な家具やブランド物の洋服を全て失ってしまったと嘆く僕にタイラーは物に縛られるなとアドバイスをします。
宿泊させる代わりに自分を思いっきり殴ってくれと要求するタイラーに戸惑いながらも僕はタイラーを力の限り殴り、二人は殴り合うをすることになりました。
廃墟同然のタイラーの家に宿泊させてもらった僕はぐっすりと眠ることが出来ました。
毎週末ルーの酒場の駐車場で殴り合う二人を見て徐々に自分も殴り合いをしたいという仲間が集まっていき、タイラーはルーの酒場の地下室でファイトクラブというクラブを立ち上げることになります。
自由なタイラーとの共同生活やファイトクラブでの殴り合いで安眠できるようになった僕でしたが、そんな日々も束の間、ひょんなことからマーラとタイラーが身体の関係を持ってしまい、タイラーは毎晩彼女を連れ込むようになってしまい、僕の安らかな日々は再びマーラに奪われてしまいました。
『ファイトクラブ』のあらすじ|どんどんと広がりを見せていくファイトクラブ
美容整形外科に忍び込んだ二人は、石鹸製造に必要な廃棄されている吸引されたお金持ちの脂肪を持ち帰ります。
石鹸を製造している際にいきなり僕は硫酸をタイラーにかけられてしまいます。
苦痛に耐えれなければ何も得ることは出来ないとタイラーに言われた僕はなんとか痛みに耐え抜き、手の甲にはひどい火傷の傷ができてしまいました。
一方でファイトクラブの会員はどんどんと増えていき、タイラーは会員たちにレンタルビデオ屋のビデオを強力な磁気で破壊したり高級車を鳥の糞でめちゃくちゃにするという悪戯を指令するようになります。
やがて、悪戯はエスカレートしタイラーはスペースモンキーズというテロ集団を結成し、プロジェクトメイヘムという計画を立ち上げます。
僕は計画についてタイラーに問いただしますが、彼はしっかりとした答えを告げず、その日から行方を眩まします。
タイラーを探すために全米中を旅をする僕でしたが、タイラーの不在の間もプロジェクトメイヘムは進行しており、街中で破壊活動が行われていくのでした。
以上、映画『ファイトクラブ』のあらすじでした。
果たして、僕はタイラーを止めることができるのか?
結末が気になる方は実際に映画を観ることをオススメします。
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『ファイト・クラブ』の感想評価とみんなの口コミ評判レビュー(※ネタバレ有)
(以下、映画『ファイトクラブ』の感想評価(ネタバレ・ラスト結末含む)と口コミ評判です。)
感想評価(※ネタバレ有)|デヴィッド・フィンチャーらしいどんでん返しに驚かされる衝撃の名作
映画『ファイトクラブ』は、アメリカの小説家であるチャック・パラニュークによる同名小説をデヴィッド・フィンチャーが実写映画化した作品です。
デヴィッド・フィンチャーは、『ソーシャル・ネットワーク』や『ゴーン・ガール』といったヒット作で知られていますよね。
主演を務めたのは、1996年にゴールデングローブ賞を受賞するなど演技派俳優として知られるエドワード・ノートンで、不眠症に悩まされ偶然知り合ったタイラーという男の影響を受け、人生が一変していく生真面目な男を見事に演じています。
そして、タイラーを演じたのはフィンチャーの出世作である『セブン』での演技が高く評価されたブラッド・ピットです。
破天荒な魅力を持つタイラーというキャラクターと彼の持つカリスマ性のある魅力が見事にマッチしておりハマり役だと思います。
管理人
当時、フィンチャーらしい斬新な映像演出と大どんでん返しのストーリー展開が大きな話題を呼びましたが、公開から20年以上経った今でもその衝撃は色あせることはありません。
ストーリーは、生真面目な性格で毎日自動車会社のリコール部門で単調な日々を過ごす主人公の僕が不眠症に悩まされ、冗談半分で精神科医に薦められた睾丸がん患者が集まるセラピーに行ったことから展開していきます。
管理人
眠れない日々を過ごしていた僕は患者の告白を聞き、大泣きすることで安眠できることに気付き、様々な重病患者のセラピーに行っては号泣して安眠するという日々を過ごしていたのですが、僕と同じようにセラピーを観光客気分で回っているマーラという女性を知ってから泣くことが出来なくなり、再び安眠ができなくなってしまいます。
それぞれで行くセラピーを分担することを渋々受け入れた僕でしたが、今度は自宅マンションが火災で全焼という災難に遭います。
そこで以前出張の際に飛行機で知り合った不思議な魅力を感じるタイラーに電話をし、居候させてもらうことになります。
タイラーの要求により、殴り合うことになった二人ですが、僕は殴り合って痛みを感じることによって安眠できることを知り、毎週末バーの駐車場で殴り合いをすることになるのですが、徐々に観衆が増えてついにそれぞれが集まって殴り合いをするというファイトクラブを結成することになります。
殴り合うシーンがかなり多くなっており、血が噴き出すシーンなどもあるので暴力的な描写が苦手な方は注意が必要です。
管理人
ファイトクラブはどんどんと会員が増えて、遂にはタイラーはファイトクラブのメンバーでスペースモンキーズというテロ集団を結成し、町を混乱に陥れるプロジェクトメイハムという計画を立ち上げるのですが僕にはその情報を一切告げないまま、行方を眩ましてしまいます。
タイラー不在のままプロジェクトが進む中で必死にタイラーを探す僕でしたが、タイラーは自分自身が作り出した別人格で、同一人物であったという大どんでん返しの展開になります。
痛みや自分自身が逃避し、別人格を作り出していた僕はそのことを受け入れ、プロジェクトメイハムを実行し国の金融システムを司る高層ビルを爆破しようとするタイラーとの一騎打ちとなり、自分の口に向かって銃を発砲することでタイラーを殺すことに成功します。
幸いにも致命傷を免れた僕が、マーラとともに崩壊していくビルを眺めるシーンで映画は終わりを迎えます。
管理人
ラストシーンについては、二人はこの後死んでしまうのでは?など様々な意見がありますが、いろいろな捉え方が出来ると思うので自分なりの答えを見つけるのが良いと思います。
僕は発砲によって重症を負ったわけではないと思いますので、ありのままの自分を受け入れてマーラとともに穏やかに暮らしていくのではないかと予想しています。
エンディングで流れるのはロックバンドPIXIESの名曲「where is my mind?」ですが、タイトルを直訳すると「僕の心はどこ?」となり、作品のストーリーと非常にマッチしていると思います。
管理人
タイラーが結成したスペースモンキーズは、高級車を鳥の糞まみれにしたり、最新のコンピューターを破壊したり、レンタルビデオ店のビデオを電磁波ですべて壊したりと町中を混乱させていきますが、この行為にはすべて物欲や見栄が溢れる資本主義社会へのフィンチャーのメッセージが込められています。
元々主人公の僕は物欲が旺盛でIKEAの家具をカタログごと買い占めたり、ブランド物の洋服を集めていましたが、そんな資本主義社会にどっぷりと浸かってしまっている自分を壊すためにも、別人格であるタイラーを作り出したのかもしれません。
インスタグラムやツイッターといったSNSが主流となり、誰かによく見られたいとブランド物を買う若者が多くいる2023年の現在でも映画に込められたメッセージは新鮮に響くと思います。
管理人
僕とタイラーが同一人物であるという衝撃の展開を知った上で鑑賞すると、より楽しめると思いますのでぜひ二度鑑賞することをオススメします。
『ファイト・クラブ』のみんなの口コミ評判レビュー
『ファイト・クラブ』の口コミ評判レビューには、このような評判が多い印象です。
「伏線を回収しながら、何度か視聴することをお勧めしたい」「今までに見た事が無い斬新な手法で話が展開されていくのが面白かった」「デヴィッド・フィンチャー監督の独特な世界観と衝撃的なラストはファイトクラブでも健在」「一度見たらもう一度見返してみたくなる映画として取り上げられるほど、伏線の張り方も逸材なのでぜひ二度見て欲しい映画」
それでは、実際の口コミ評判レビューを詳しく見て行きましょう。
★★★★★星5
とにかく最高です。
この映画を見たキッカケはブラッドピットが好きだったからですが、見てよかったと思います。
まずなんと言ってもブラッドピットがイケメンすぎます。そしてエドワードノートンもかなりいい演技をします。
流石としか言えません。
暴力シーンがあるので、苦手な人もいるかもしれませんがどんでん返し系が好きな人はとてもハマると思います。
そして、なんとこの映画はサブリミナル的に映像が挟まっていることがあり、なかなか1回目では「ん?」と思う程度で気づけません。
サブリミナルを探すことももう一度見返そうかなと思うことの一つです。
見続けていくと、重要なことに薄々気づいてきますがラストシーンで納得がいくと思います。
私の中ではとても印象に強く残る映画の一つでした。
20代女性
★★★★☆星4
タイラー役のブラッドピットがとてもかっこいい映画です。
相反して、主人公の男性はさえないなといった感じですが、なぜかブラッドピットとの絡みが多いなという感じでした。
要所要所に「ん?」と思う点はあるのですが、最後まで結末が想定できませんでした。
題名の通り、夜な夜な殴り合いのけんか祭りが開催されるのですが、それも、なぜ?という感じでした。
気持ち悪い石鹸を作ったり、どんどん悪事を染めていくように思われた主人公ですが、最後の結末は衝撃でした。
タイラーがいなくなったあたりからまさかとは思いましたが、作品中に伏線がちりばめられていたことに気づかずにラストを迎えてしまいました。
伏線を回収しながら、何度か視聴することをお勧めします。
30代女性
★★★★★星5
この映画は、今までに見た事が無い斬新な手法で話が展開されていくのが面白かったです。
特に主人公のナレーターで話がメインで話が進展していくのが、他の作品には見られない描き方で良かったです。
タイラーと出会いファイトクラブのルールが作られていきますが、今の時代背景から振り返ると、いち早く格闘技ブームになる最先端をやっていたのかなと感じました。
容赦無く暴力シーンを描いているのは、監督のデヴィッドフィンチャーならではの独特な演出方法だと思いました。
そしてファイトクラブの噂が広まり段々と人数が増え続けた状況で、タイラーが独自のルールを提唱していたシーンは、この映画ならではの見どころで面白いなと思いました。
最後の高層ビルのシーンは、当時の時代背景を予見していたかの描写で意味深だと感じました。
40代男性
★★★★★星5
『ファイト・クラブ』は90年代を代表するブラッド・ピット主演のアメリカ映画です。
資本主義の奴隷として疲れ切った主人公をエドワード・ノートンが演じ、彼の前に現れる謎の人物タイラーをブラッド・ピットが好演しています。
この映画の一番のみどころはブラッド・ピット演じるタイラーのカリスマ性あふれる立ち振る舞いと言動です。
マッチョで偏った思想ながらも周囲の憧れとなり、やがて多くの男性たちの中心的な人物になっていく様は異様ながらも説得力があります。
この作品は近年話題の”有害な男らしさ”というテーマを深く掘り下げた内容にもなっています。
また、中盤からラストにかけての衝撃の展開は忘れられません。
これから観る人にはぜひ、ネタバレを踏まずに衝撃を味わって欲しい作品です。
20代女性
★★★★★星5
エドワード・ノートンとブラッド・ピットの若いけれど脂が乗ってきた時期の有名な作品です。
『ファイト・クラブ』という題名は何かと後の作品たちにネタにされるほど当時流行りました。
地下闘技という暴力的で、血気盛ん、しかし平凡な日常を送っている人間には刺激的で非日常の魅力がある怪しい舞台。
若い男性二人が親交を深めていく様子が描かれています。
危うくもカリスマ的な魅力を持つブラッド・ピットの役柄と、どこか自信なさげなエドワード・ノートンの演技がとてもしっくりきて、人物の描き方が繊細です。
ラストはもしかしてと予想ができる作品ではありましたが、主人公の葛藤が伝わり好きな内容です。
暴力的シーンが多々あるので、そういったものが苦手な人には向かない作品とも言えます。
30代女性
★★★★★星5
『ファイト・クラブ』は、序盤のストーリーが全部が伏線だったんだと最後に驚かされ、とても面白い内容になっているなと感じました。
誰にでも心の中に理想があってそれが飽和してしまうとこうなってしまうのかなと感じましたし、自分にもあると思うと怖いなと観ていて思いました。
良いシーンが多かったですし、最後にかけての盛り上がりがとても良かったと感じています。
エンドロールに入るまでの流れは、今まで観た映画の中でも最高だと感じました。
エドワード・ノーマンの一般的な会社員だけど、他のやつらとは違うぜという雰囲気が出てたのは良かったですし、ブラッド・ピットの圧倒的強者感が漂う演技は、とても素晴らしかったと観ていて感じました。
30代男性
★★★★☆星4
1999年に公開されたエリート人生を歩みながらも空虚な気持ちを抱いていた主人公がある男との出会いを機に己のこぶしのみで戦う「ファイト・クラブ」で自己を開放していく流れを描いたミステリー映画です。
デヴィッド・フィンチャー監督の独特な世界観と衝撃的なラストは映画『ファイトクラブ』でも健在でした。
地下格闘クラブを舞台にした映画『ファイトクラブ』では地上の明るさと格闘クラブの薄暗さの対比の中で2つの世界における主人公の心の変化が描かれます。
当初は2つの世界は異なるものであり主人公の中でも実生活とファイトクラブでの戦いは区別され生活していたが、次第にファイトクラブでの戦いが実社会にも影響を与えるようになり、2つの世界は1つになっていく過程が描かれています。
フィンチャー監督ならではの世界観に観客として徐々に引き込まれていく感じが映画『ファイトクラブ』の魅力といえます。
40代男性
★★★★☆星4
冴えない主人公が自分とは正反対の性格の男性と会い、刺激のある生活を送るという流れでストーリーが展開していきます。
最初はただ人の変化や心情を描いた映画だと思っていましたが、「次第に何かおかしいぞ」と思わせるシーンが徐々に見られるようになります。
衝撃のラストは語ることは出来ませんが、暴力という中での独特の世界観と徐々に精神が崩壊していく感じの主人公などが見ていてゾクゾクとくるものがありました。
暴力に支配された世界の、ファイトクラブで起こる悲喜こもごも的なものなのかなと思ってみたものの、与えられているメッセージが想像の上を超えすぎてしまう衝撃的です。
いわゆるブラピ様を見たいだけの人はお断りのような、ハチャメチャなブラッド・ピットにも要注目です。
一度見たらもう一度見返してみたくなる映画として取り上げられるほど、伏線の張り方も逸材なのでぜひ二度見て欲しい映画です。
30代女性
*映画『ファイトクラブ』のみんなの口コミ評判レビューは当サイト『シネマヒッツTV』が独自で集めたコンテンツです。
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