映画『蜜蜂と遠雷』がひどい,ありえないと言われる理由6つ。なぜ2位なのか最後のあやについて解説&考察。口コミ感想レビュー。

2019年10月4日公開の映画『蜜蜂と遠雷』。
直木賞と本屋大賞を同時に受賞した恩田陸の原作小説を実写映画化したものです。
物語は、国際ピアノコンクール「芳ヶ江国際ピアノコンクール」に挑む4人の若きピアニストたちを中心に描かれています。
迫力あるピアノ演奏シーンや音楽の演出が高く評価され、第43回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を含む主要部門を受賞しました。
目次
映画『蜜蜂と遠雷』ひどい,ありえないと批判がある理由を徹底考察
恩田陸さんの同名人気小説を実写映画化した映画『蜜蜂と遠雷』。
主演の松岡茉優さんらの熱演や、臨場感あふれる演奏シーンは高い評価を集めました。
しかし一方で、観客の中には「ひどい」「ありえない」との感想を抱いた人も少なくありません。
なぜ『蜜蜂と遠雷』はひどい・ありえないと言われてしまうのか?
その理由を詳しく解説していきます。
ひどいと言われる理由
人物の描写が薄い
迫力ある演奏シーンは称賛されましたが、人物描写の薄さが「映画がひどい」と言われる大きな理由です。
512ページにも及ぶ原作を2時間の映画にまとめる都合上、キャラクターの背景や関係性が省略され、感情移入しにくい構成になってしまいました。
結果として「共感できない=ひどい」という否定的評価につながっています。
原作ファンの期待とのギャップ
原作は直木賞受賞の大人気小説。
期待値が高すぎたため、「映画はひどい」と感じたファンも多くいました。
原作の世界観を忠実に再現してほしいファンにとっては物足りず、逆に映画として独立して楽しむ視点を持てば十分魅力的に映る、という二面性があります。
期待を裏切られたと感じる観客が一定数いたことが「ひどい」との声につながったのです。
音楽シーンに頼りすぎている
小説では「音を言葉で描写する」革新的な表現が絶賛されました。
映画版は生の音楽の迫力を武器にしましたが、演奏シーンに依存しすぎたことで文学的な繊細さが失われ、「小説の魅力が消えてひどい」という批判を受けました。
ありえないと言われる理由
風間塵の練習スタイル
天才ピアニスト・風間塵がおもちゃの鍵盤で練習するシーンは印象的ですが、現実的には「そんな方法でうまくなるわけがない=ありえない」と思う人が多かったのです。
特にピアノ経験者からは「非現実的すぎてありえない」という厳しい意見が寄せられました。
指揮者・小野寺の態度
最終審査でのオーケストラ共演シーン。指揮者・小野寺がソリストにパワハラのような態度をとり、亜矢を追い詰める場面があります。
しかし現実のクラシック音楽界では考えにくく、「こんな指揮者はありえない」との声が多数上がりました。演出としてはドラマ性を高めたものの、リアリティの欠如が否定的に受け止められています。
オーケストラの配置変更
塵が直前にオーケストラの配置を変えるシーンも、舞台演出の現場では不可能に近く、観客から「本番でこんなことはありえない」と批判されました。
映画としては塵の天才性を強調する演出ですが、リアルさを重視する観客からは「荒唐無稽すぎてありえない」という評価につながったのです。
賛否両論の理由を踏まえた見方
『蜜蜂と遠雷』は「ひどい」「ありえない」と否定的な感想を持つ人もいますが、それは人物描写の省略や演出の非現実性に起因しています。
ですが、演奏シーンの迫力や俳優陣の熱演は大きな魅力として評価されており、賛否が分かれる作品と言えるでしょう。
映画『蜜蜂と遠雷』がひどい・ありえないと言われる理由とは?原作との違いを理解しつつ「映画ならではの表現」と割り切って鑑賞すれば、また違った楽しみ方ができるはずです。
なぜ2位なのか最後のあやについて考察して解説
映画のラストでは、オーケストラを招いた最終審査が行われます。
主人公・栄伝亜夜は母の死を告げられたことで、幼い頃に演奏を中断してしまったトラウマが蘇り、会場を去ろうとしました。
しかし、その直前に演奏した風間塵の独創的なピアノに触発され、音楽の楽しさを思い出します。
さらに母から教えられた「世界はいつだって音楽で溢れている」という言葉を胸に再び舞台へ。
亜夜は解放されたように自由に演奏し、観客の拍手喝采を浴び、かつて母と連弾していた頃の笑顔を取り戻しました。
それでも最終結果は、優勝がマサル・カルロス・レヴィ・アナトール、亜夜は2位という結末でした。
なぜ亜夜は2位にとどまったのでしょうか。
その理由を考察していきます。
亜夜が2位になった理由|自由な表現と審査基準の違い
審査の大きなポイントは「演奏スタイル」でした。
優勝したマサルは師匠であり審査員でもあるシルヴァーバーグの指導のもと、正統派で完璧な演奏を披露。
一方で風間塵は、型破りで独創的な演奏で審査員を驚かせました。
亜夜はその中間に位置し、塵に刺激を受けて「何にも縛られない自由な音楽」を奏でました。
観客を魅了する素晴らしい演奏ではありましたが、コンクールという場では「完成度の高さ」を重視する審査員の判断により、優勝はマサルに譲ったと考えられます。
ただし、亜夜にとっては音楽を再び心から楽しむことを取り戻したこと自体が、結果以上の大きな収穫だったといえるでしょう。
風間塵の存在|災厄ではなく“ギフト”だった
専門教育を受けていないにも関わらず、圧倒的な独創性を持つ塵の演奏は、審査員や観客の度肝を抜きました。
ユウジ・フォン=ホフマンは推薦状の中で「彼を本物のギフトにするか、それとも災厄にするかは我々にかかっている」と記しましたが、実際に塵の存在はマサルや亜夜に大きな刺激を与え、音楽的な成長を促しました。
結果として塵は“災厄”ではなく、かけがえのない“ギフト”として彼らの音楽人生を豊かにしたのです。
映画『蜜蜂と遠雷』のあらすじ
(以下、映画『蜜蜂と遠雷』のあらすじです。)
『蜜蜂と遠雷』のあらすじ|復活をかけてコンクールに参加するかつての天才ピアニスト
かつて天才ピアノ少女として持てはされたものの、表舞台から姿を消した英伝亜夜は復活をかけて芳ヶ江国際ピアノコンクールに参加します。
第一次予選の会場では、優勝候補とされるシルヴァーバーグ音楽院教授シルヴァーバーグを師匠に持つマサル・カルロスがその完璧な演奏で観客を沸かせます。
出場者の中には、妻子持ちでサラリーマンをしながら年齢制限ギリギリで最後のチャンスに駆ける高石も参加していましたが、審査員たちを悩ませていたのは16歳の風間塵。
亡くなった天才ピアニストであるユウジ・ホフマンの指導を受けており、推薦状を受けていた塵の演奏は型破りで審査員たちの度肝を抜きました。
対して、亜夜の演奏はインパクトに欠けており、審査委員長の嵯峨は厳しい意見を投げかけます。
演奏を終えた亜夜はピアノの先生だった母親と指導をかつて一緒に受けていたおさななじみのマサルと久しぶりに出会い、再会を喜びますが、7年前に母親は亡くなっており、亜夜が表舞台から姿を消した原因になっていました。
『蜜蜂と遠雷』のあらすじ|高石の演奏に感化される亜夜と塵
四人とも一次審査を通過し、二次審査の課題曲は即興性が求められるものでした。
ユウジはその技術力によって力業で観客を圧倒しますが、完璧を求めるシルヴァーバーグはユウジを叱責します。
サラリーマンをしながらコンクールに挑む高石は、生活者の音楽をテーマに仕事や子育てと両立しながら練習を重ね、自分なりの演奏を披露します。
高石の演奏を見た亜夜と塵は、居てもたってもいられず紹介された工房で時間を忘れて連弾をします。
二次審査での塵も、独創的な演奏によって会場中を魅了します。
そんな塵の演奏に後押しされるように亜夜も忘れていた音楽を表現する事の楽しさを思い出すように素晴らしい演奏を披露しました。
『蜜蜂と遠雷』のあらすじ|過去のトラウマを思い出し、最終審査会場を後にしようとする亜夜
高石は二次審査を不合格となってしまいましたが、高石、亜夜、塵、マサルの四人は音楽を通して共鳴し合うように仲を深めていきます。
そして、迎える最終審査はオーケストラを交えた演奏でした。
指揮者を務める小野寺は腕は確かなものの、細かい指導によって知られており、思うようにはいかないリハーサルにマサルは苦戦します。
亜夜もまたリハーサルでの厳しい小野寺の指導によって、過去のトラウマを思い返してしまい、演奏が出来なくなってしまいます。
そのトラウマとは、オーケストラとのコンサートの当日に母親が亡くなったと聞かされ、ショックから演奏ができなくなってしまった7年前の出来事でした。
本番直前になり、亜夜は会場を後にしようとします。
以上、映画『蜜蜂と遠雷』のあらすじでした。
果たして、亜夜は無事に演奏することが出来るのか?
結末が気になる方は実際に映画を観ることをオススメします。
映画『蜜蜂と遠雷』の感想評価とみんなの口コミ評判レビュー(※ネタバレ有)
(以下、映画『蜜蜂と遠雷』の感想評価(ネタバレ・ラスト結末含む)と口コミ評判です。)
感想評価(※ネタバレ有)|四人のピアニストの演奏を見事に表現した人気音楽小説の実写化作品
映画『蜜蜂と遠雷』は、若き4人のピアニストを描き、第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞ダブル受賞作するなど高い評価を受けた恩田陸さんの同名人気小説を実写映画化した作品となっています。
映画自体も第43回日本アカデミー賞で優秀作品賞、優秀主演女優賞、新人俳優賞、優秀音楽賞などを受賞するなど高い評価を受けました。
そんな映画『蜜蜂と遠雷』の魅力と言えば、なんといっても演奏シーンの迫力と美しさにあります。
物語は4人の若きピアニストが国際的なピアノコンクールに挑む姿を描いており、演奏シーンが一番重要な作品です。
小説では文章で表現されていた彼らの演奏については実写化不可能とも言われていましたが、凄腕のピアニストが集結して、見事な音を表現しており、まるでコンサート会場にいるかのような迫力を味わうことが出来ます。
音楽映画といえば、ロックバンドを描いた『BECK』では主人公コユキが歌うシーンでは音が消えるという表現を多用し、原作ファンからの批判を浴びました。
が、映画『蜜蜂と遠雷』ではしっかりと音の表現に挑戦しており、原作とクラシック音楽へのリスペクトを感じます。
ピアノと音楽の楽しさを教えてくれた母親が亡くなったことによって表舞台から姿を消していた主人公・亜夜は再起を図るためにコンクールに参加しますが、幼馴染で正統派のマサル、生活者の音楽をテーマに子育てや仕事と両立しながら最後のチャンスに駆ける高石、そして音楽を全力で楽しむかのように音を表現する感覚派の天才ピアニスト塵といったライバルとの出会いによって、審査が進むにつれて亜夜の演奏は少しずつ変化していきます。
それぞれのキャラクターの心情に合った演奏が上手に表現されており、圧巻です。
前述した個性豊かな四人のキャラクターもそれぞれ魅力的ですが、音楽シーンがメインにある作品ですので、亜夜以外のキャラクターの背景や心情が細かく描かれていない点は物足りなさを感じてしまう方も多いかもしれません。
ただ、約500ページという原作小説を約二時間の映画にまとめるのはとても難しいことであり、キャラクター描写に時間を割いてしまうと、肝心の音楽シーンが削られてしまう可能性もあったため苦渋の選択だったのではないかと考えられます。
そのため、原作のファンという方は、過度に期待せずに鑑賞した方が楽しめるかもしれません。
映画『蜜蜂と遠雷』をクラシック音楽に触れるきっかけにしても良いのではないでしょうか。
芸術の秋にぴったりな作品になっています。
『蜜蜂と遠雷』のみんなの口コミ評判レビュー
★★★★☆星4
まず圧倒されたのは音楽の迫力でした。
ピアノの音色がスクリーンから溢れ出すようで、劇場全体がコンサートホールに変わったかのような感覚になりました。
松岡茉優さんや松坂桃李さんをはじめとする俳優陣の演技も素晴らしく、自然体でそれぞれのキャラクターが抱える葛藤や成長が丁寧に描かれていていて、観ているこちらも一緒に舞台に立っているような没入感を味わえました。
特に若手天才ピアニストの風間塵の存在感が印象的でした。
才能とは何か、人を動かす音楽とは何かを考えさせられました。
物語の中で交差する登場人物の思いや音楽への情熱、最後には「音楽は競うものではなく、響き合うもの」だと気づかされる余韻が深く心に残り印象的な作品でした。
30代女性
★★★★★星5
元々原作の蜜蜂と遠雷が大好きで、映画化も物凄く楽しみにしていました。
キャストさんたちも全員役に当てはまっていたし、なにより映像化で1番嬉しかったのはピアノの音の迫力が実際に目で見て感じ取ることができるようになったこと。
本で読んでいても、脳内で妄想してみて、きっと見ている人たちをあっと言わせるような、そんな圧巻のパフォーマンスなんだろうなと思っていたけど、やっぱり映像化されると全然違う。
ピアノの音でガンガン殴りつけられている感じがしたし、なによりピアニストたちのそれぞれの苦しみが音にまで乗っていて、それが映像化されることで痛いほど伝わってきて、見ていて目がまったく離せなくなった。
クラッシクに明るいわけじゃないけど、この映画を見たことで、実際のクラシックのコンサートやピアノのコンクールを見に行きたくなった。
20代女性
★★★★★星5
ピアノコンクールに挑む、年齢も経歴も全く違う4人の男女を追った映画ですが、面白いなあと思ったのは、「誰が優勝するのか」はあまり気にならず、4人のうち誰かに肩入れすることもなく、ひとつの作品でありながら、4つのドラマを並行して見ているような気持ちになったことです。
役柄と俳優さんがマッチしていて、演奏シーンも聴き入ってしまい、フィクションを見ているというより、実際にコンクールに挑んでいる人たちのドキュメンタリーを見ているような気持ちになりました。
かつての天才ピアノ少女役の松岡茉優さんも、天才ではなく最後のチャンスに賭けている松坂桃李さんも、コンクール大本命の森崎ウィンさんも、俳優さんというより、実在の人物に感じました。
そして、演技経験が少なく初々しい鈴鹿央士さんが、異色すぎる経歴の塵そのもので、オーディションなのか、指名なのか、どのような経緯で配役されたのか分かりませんが、この映画を面白くする要素のひとつに、確実になっていたと思います。
50代女性
★★★★★星5
私はこの作品を原作を先に読んでいたので、映画については限られた時間の中でどの程度再現可能なのか、配役も自身の思い描いていたイメージとは少し異なっていたので、見る前は少し色眼鏡だったのですが、松坂桃李や鈴鹿央士はじめ皆さんの演技力にすっかり魅入ってしまいました。
国際ピアノコンクールという大舞台に臨む若者たちの才能、情熱、葛藤、勇気、自信、嫉妬、羨望、そしてひたむきなまでのピアノ演奏への想い。
そうした繊細で美しい音楽家たちの溢れんばかりの感性が、視覚的にもそして聴覚的にもひしひしと伝わってきて、ラストには切なさと愛おしさの入り混じった清々しさを感じ、深い余韻に浸ることができました。
この映画はピアノコンクルールが舞台ですが、塵のように無邪気にただ好きなことを好きなようにやってのけられる人や、明石のように一度は夢を諦め現実の生活を優先したはものの、やはり心のどこかに夢を捨てきれぬまま再挑戦する人、亜夜のように何かをきっかけに夢が遠のいたり夢自体を見失ってしまう人、マサルのように才色兼備で着々と我が道を順調に駆け上ることのできる人、それはきっとどんな業界、どんな社会にもあてはまるものだからこそ、音楽とは無関係な自分の心にも共感であったり、投影できるものが多々存在し、自身の半生を振り返り様々な思いが去来しましたし、だからこそ多くの人を感動させたのではないかと思いました。
本当に良い映画なので、まだ見ていない人にはぜひ見てほしい映画のひとつです。
40代女性
*映画『蜜蜂と遠雷』のみんなの口コミ評判レビューは当サイトが独自で集めたコンテンツです。引用の際は必ず引用リンクと出典の記載をお願いします。記載がない場合は法的処置も検討させていただきます。