『ミッドナイトスワン』死因を考察|凪沙の最期・りんの飛び降り・ラストの原作との違いを徹底解説

2020年9月25日公開の映画『ミッドナイトスワン』は、バレエとトランスジェンダーという二つのテーマを軸に描かれたヒューマンドラマです。
主演を務めるのは、俳優として新たな評価を確立した草彅剛。
トランスジェンダー女性・凪沙という難役に挑み、抑えた演技と身体表現によって、これまでのイメージを大きく更新しました。
監督・脚本・原作を手がけたのは、『獣道』や『下衆の愛』などで知られる内田英治。
社会の周縁に置かれがちな存在を真正面から描く作風で評価されてきた内田監督が、より静かで痛みを伴う人間関係に踏み込んでいます。
その完成度は高く評価され、『ミッドナイトスワン』は第44回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を含む複数部門を受賞。社会性とエンターテインメント性を両立させた作品として、大きな注目を集めました。
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一方で、凪沙の死因、りんの飛び降り、ラストで描かれる一果の入水など、重要な出来事の多くが明確に説明されない構成になっています。
そのため、観終えたあとに強い余韻と同時に、「結局あの場面はどういう意味だったのか?」という疑問を抱いた方も多いのではないでしょうか。
この記事では、
- 凪沙の死因とオムツ・出血の描写が示す意味
- りんが飛び降りを選んだ理由
- 『ミッドナイトスワン』が実話ではないにもかかわらず強い現実味を持つ背景
- ラストで一果が海へ入っていった意味やエンドロール後の解釈について
- 原作小説との違い
も踏まえながら考察していきます。
目次
凪沙の死因は感染症|オムツと血の描写が示す意味を解説

凪沙の死因は、性転換手術後のアフターケア不足による感染症であると考えられます。
映画『ミッドナイトスワン』本編では死因について明確な説明はありませんが、原作小説ではより具体的に補足されています。
原作で明かされている凪沙の死因
原作小説によると、凪沙はタイで性転換手術を受けたものの、その後のアフターケアを十分に行わなかったことが原因で感染症を発症していたことが描かれています。
感染症は徐々に進行し、凪沙は視力も失いつつあったとされており、最終的には日常生活すらままならない状態にまで追い込まれていました。
映画では直接語られないものの、凪沙の衰弱ぶりは原作設定を踏まえることで、より現実的な「死」に結びついていきます。
オムツや出血の描写が示していたもの
劇中で、一果が久しぶりに凪沙の部屋を訪れた際、凪沙がオムツを着用しており、血が付着していた描写があります。
このシーンはショッキングですが、単なる演出ではありません。
- 術後の体調悪化
- 感染症による排泄機能の低下
- 自力での生活が困難になっていた状態
これらを視覚的に示すための重要なヒントだったと考えられます。
原作では、凪沙は引きこもり状態となり収入も途絶え、家賃を払えなくなった結果、一時はホームレス同然の生活を送っていたことも明かされています。
その後、元同僚・瑞貴の助けによって生活保護を受け、ボランティアによる介護を受ける立場になっていました。
「オムツを替えてちょうだい」という言葉の意味
再会した一果に対し、凪沙が最初に口にした「オムツを替えてちょうだい」という言葉も、印象的な場面です。
原作設定を踏まえると、この言葉は視力がほとんど失われていたり、一果を介護ボランティアと誤認していた可能性を示唆していると読み取れます。
つまり凪沙はすでに、「母として接する存在」と「介護を受ける存在」の境界すら曖昧になるほど衰弱していたのです。
なぜ凪沙はアフターケアを怠ったのか
凪沙は、一果のために「本当の母親になりたい」という思いから性転換手術を受けました。
しかし、実家で再会した際も、早織や母親から理解を得ることはできませんでした。
- 一果の人生を支えられなかった自責
- 「母親にはなれない」と悟った絶望
- 社会からも家族からも居場所を失った孤独
こうした心理状態が重なり、生きる意欲そのものを失っていった結果、アフターケアを放棄してしまったと考えられます。
凪沙の死が一果に残したもの
凪沙の最期はあまりにも悲劇的ですが、一果に向けられていた愛情が偽物だったわけではありません。
バレエ教室で「お母さん」と呼ばれただけで涙を浮かべ、慣れない男性社会で働き、女性として生きることすら捨てて一果を守ろうとした凪沙の選択は、確かに一果の心に刻まれていたはずです。
凪沙にとって、それこそが自分が生きた証だったのかもしれません。
りんはなぜ飛び降りたのか?バレエと親の愛が奪われた少女の絶望

りんが飛び降りという選択をしてしまった最大の理由は、怪我によってバレエを続けられなくなり、両親からの関心と愛情を同時に失ったことにあると考えられます。
『ミッドナイトスワン』におけるりんの死は唐突に描かれますが、そこに至るまでの心理は、丁寧に積み重ねられていました。
バレエを失ったことで価値を否定されたりん
りんは、転校してきた一果にとって最初の理解者であり、バレエ教室に通うきっかけを作った親友でもありました。
しかし、怪我によってバレエを続けられなくなったことで、りんの立場は大きく変わってしまいます。
母親・真祐美は、かつて自身もバレエに打ち込み、「立派なバレリーナになる夢」を娘であるりんに託していました。
そのため、バレエができなくなった瞬間、りんは期待を背負う存在から関心を失われる存在へと変わってしまったのです。
病院で口にされた「この子からバレエを取ったら何も残らない」という言葉は、りんの存在そのものを否定するような一言だったと言えるでしょう。
「バレエができない自分には価値がない」という思い
この言葉をきっかけに、りんの中には「バレエができない自分は、母親にとって無価値な存在なのではないか」という思いが強く根付いていきます。
一方で、親友である一果はバレエのコンクールへ進み、順調に未来へ向かって歩き始めていました。
- 親に必要とされない自分
- 夢を失った自分
- 前に進むことができない自分
こうした現実と向き合う中で、りんは次第に自分の人生そのものが無意味に感じられるようになっていったのだと考えられます。
パーティー会場で描かれた「決定的な孤独」
りんが飛び降りたのは、セレブである両親とともに出席したパーティー会場の屋上でした。
パーティーの主役が現れた途端、踊っていたりんに向けられていた視線は完全に消え去ります。
そして、りんが飛び降りる瞬間すら、両親は見ていません。
この演出は、りんがどれほど孤独な場所に立たされていたのかを、言葉以上に雄弁に物語っています。
父・正二は愛人を何人も抱え、夫婦としての体裁を保つために「理想的な家族」を演じていただけの存在でした。
りんは、両親にとって愛する娘ではなく、セレブ夫婦であることを示すステータスに過ぎなかったのかもしれません。
一果とりんが惹かれ合った理由
母親・早織からのネグレクトにより、愛情に飢えて育ってきた一果。
一方で、両親からの期待と条件付きの愛の中で生きてきたりん。
境遇は違えど、「親から無条件に愛されなかった」という共通点を持つ二人が惹かれ合うのは、ごく自然なことだったと言えるでしょう。
りんの飛び降りは、衝動的な行動ではなく、「必要とされない人生から降りる」という、あまりにも悲しい決断だったのです。
『ミッドナイトスワン』は実話なのか?リアリティの理由を解説

リアルな描写と重いテーマ性から、映画『ミッドナイトスワン』は実話をもとにした作品なのではないかと感じた方も多いかもしれません。
しかし、結論から言うと、映画『ミッドナイトスワン』は実話ではなくフィクションです。
監督を務めた内田英治さんが脚本・原作小説の両方を手がけたオリジナル作品となっています。
それでも「実話のように感じられる」理由には、明確な背景がありました。
トランスジェンダー女性への徹底した取材
内田英治監督は『ミッドナイトスワン』でトランスジェンダーを描くにあたり、20人以上のトランスジェンダー女性に直接インタビューを行ったことを明かしています。
取材を通して出会ったのは、決して一括りにはできない、多様な生き方をする当事者たちでした。
- 家族との関係に悩む人
- 社会的な偏見に傷ついてきた人
- 自分の居場所を探し続けてきた人
そうした声を積み重ねることで、凪沙というキャラクターは「特定の誰か」ではなく、多くの当事者の現実を内包した存在として形作られていきました。
内田監督自身も、取材を重ねる中で「自分が無意識のうちに、トランスジェンダーに対して偏ったイメージを持っていた」と気づかされたと語っています。
そのため一方的に理解したつもりになる映画ではなく、観る側の価値観そのものを問い直す構造になっているのです。
モデルとなった人物はいるのか?
物語全体はフィクションですが、細部には実在の人物を参考にした要素も存在しています。
特に印象的なバレエシーンについては、バレエ講師として活躍する千歳美香子さんが監修を担当しています。
作中でバレエスクールの講師として登場する片平実花の立ち居振る舞いや空気感は、千歳さんの佇まいをモデルにしているとされています。
千歳さんはこれまでにも、『花とアリス』や『プリンシパル』など、バレエを扱う日本映画の監修を数多く手がけており、リアルな身体表現を作品に落とし込む存在として知られています。
なぜ「実話だと思われるほどリアルなのか」
『ミッドナイトスワン』が実話だと誤解されるほどの説得力を持つ理由は、一人の人生を描いているようで、実は多くの現実を重ねている点にあります。
- 取材によって集められた当事者の声
- 現実に存在する差別や孤独
- 誰にも理解されない苦しさ
それらが丁寧に積み重ねられているからこそ、観る側は「これはどこかで本当に起きた話なのではないか」と感じてしまうのです。
映画『ミッドナイトスワン』は実話ではありません。
しかし、現実から目を背けないために生まれたフィクションであることは間違いないでしょう。
ラストで一果が入水した意味は?エンドロール後と原作との違いを考察

映画『ミッドナイトスワン』の終盤では、感染症によって衰弱しきった凪沙とともに、一果が海へ向かう場面が描かれます。
やがて凪沙は息を引き取り、一果はその亡骸を背に、ひとり海の中へと入水していきます。
この行動の意味について、作中で明確な説明はありません。
しかし、エンドロール後の描写や原作との違いを踏まえることで、一果の選択にはいくつかの解釈が浮かび上がってきます。
入水のあと、一果はどうなったのか(エンドロール後)
一果が海へ入水した直後、映画では場面が切り替わり、海外に留学し、バレリーナとして舞台に立つ一果の姿が描かれます。
この描写から、一果はそのまま命を落としたわけではなく、生き延び、自分の人生を歩み続けていることが示唆されています。
では、なぜ一果は海へ入ったのでしょうか。
その理由については、大きく分けて二つの説が考えられます。
説① 一果なりの「決意」の表れだった
一つ目は、凪沙を失ったあとも生きていくという、一果自身の決意の表れだったという解釈です。
これまで一果は、
- 母・早織からのネグレクト
- 親友・りんの死
- 唯一の理解者であった凪沙の喪失
という過酷な現実を、まだ幼い年齢で背負ってきました。
そんな中で海へ入る行為は、凪沙との別れを受け入れ、「ここからは一人で生きていく」という覚悟を固める、一種の通過儀礼だったとも考えられます。
海に入ることで過去を洗い流し、凪沙から受け取った愛情を胸に、新しい人生へ踏み出すための行動だったという見方です。
説② 一度は死を選ぼうとしたが、思いとどまった
もう一つの説は、一果が一度は自殺を選ぼうとしていたという解釈です。
理解者である凪沙と、心の拠り所だった親友・りんを同時に失った一果は、生きる意味そのものを見失っていたとしても不思議ではありません。
- もう誰も自分を守ってくれない
- 生き続ける理由が見つからない
そう感じた一果が、「二人のもとへ行くために海へ入った」可能性も十分に考えられます。
しかし、その中で一果は思いとどまり、凪沙やりんの想いを背負って生きることを選び直した。
エンドロール後の描写は、その決断の結果だと受け取ることもできます。
原作小説との決定的な違い
映画と原作小説の最も大きな違いは、一果のその後が描かれているかどうかです。
映画では、海外留学し、バレエを続ける一果の姿が示されることで、彼女が生き続けた未来が明確に描かれます。
一方、原作小説では、一果が海へ入っていく場面で物語は終わります。
その後、彼女が生きたのか、命を落としたのかは語られません。
そのため原作では、一果が命を落としてしまった可能性も含めて、読者それぞれに解釈が委ねられています。
映画版が「希望」を示したラストだとすれば、原作版はより深い余韻と問いを残すラストだったと言えるでしょう。
『ミッドナイトスワン』のあらすじ

(以下、映画『ミッドナイトスワン』のあらすじです。)
『ミッドナイトスワン』のあらすじ|孤独な少女・一果を預かることとなるトランスジェンダーの凪沙
トランスジェンダーの40代である凪沙は、新宿のショーパブで働きながら、性転換手術のための貯金を蓄えながら生活していました。
そんな中、育児放棄に遭っている従妹の少女・一果を広島の実家から預かることになります。
養育費を目当てに一果を預かることにした凪沙は、必要最低限の世話だけしようと考えていましたが、一果がバレエ教室に通うために親友のりんから紹介された違法な撮影バイトをして警察の厄介になったことをきっかけに少しずつ一果の内面を受け入れるようになります。
次第に絆を深めていく二人。
凪沙は一果がバレエ教室を続けれるように昼の仕事も探すようになり、髪を短く切って男性として工場で働くようになります。
『ミッドナイトスワン』のあらすじ|コンクールの本番で立ち尽くしてしまう一果
一果とともにバレエを続けていた親友のりんでしたが、足の怪我によって、バレエを続けることは叶わなくなり、セレブ家庭の母親からは見放されるようになってしまい、やがて両親とともに出席したパーティー会場の屋上から飛び降りてしまいます。
りんが飛び降りたことを知らない一果は大事なバレエコンクールの会場にいました。
本番になるものの、プレッシャーのあまりに立ち尽くし、涙を流してしまいます。
そんな状況の中、実の母親である早織が客席からステージに上がり、一果を優しく抱きしめるのでした。
このままでは本当の母親になることは出来ないと感じた凪沙はタイで性転換手術を受けることを決めます。
『ミッドナイトスワン』のあらすじ|性転換手術を行い、一果を迎えに行く凪沙
コンクールの日以来、一果はバレエを辞めて、早織とともに広島に帰っていましたが、性転換出術を終えた凪沙がバレエを続けるべきだと迎えに行きます。
しかしながら、早織や実家の母親から凄まじいバッシングに遭い、一果を連れ戻すことはできませんでした。
もう一度バレエの情熱を取り戻した一果は中学卒業後にバレエ留学をすることになり、卒業式の後、東京の凪沙の元へ向かいます。
しかしながら、凪沙は性転換手術の後に体調を崩しており、一果のことが分からないほどに衰弱していました。
以上、映画『ミッドナイトスワン』のあらすじでした。
果たして、凪沙と一果はどうなってしまうのか?
『ミッドナイトスワン』の感想評価とみんなの口コミ評判レビュー(※ネタバレ有)

(以下、映画『ミッドナイトスワン』の感想評価(ネタバレ・ラスト結末含む)と口コミ評判です。)
感想評価(※ネタバレ有)|トランスジェンダー女性の孤独を草彅剛さん主演でリアルに描いた問題作
映画『ミッドナイトスワン』は、孤独なトランスジェンダーの40代・凪沙がひょんなことから同じく孤独を抱える少女・一果と生活することとなり、次第に絆を深めていく姿を描いた問題作です。
監督を務めたのは、様々な話題作を監督し、近年ではNetflixドラマ『全裸監督』が大ヒットするなど注目を集める内田英治監督。
主演は、国民的な人気アイドルグループであったSMAPの元メンバーで優れた演技派俳優としても知られる草彅剛さんです。
冒頭から新宿のショーパブで武装するかのようにメイクアップをしながら、ステージで踊る草彅さんの演技に目を惹かれます。
「男性にのめり込んではダメ」と何度も自分に言い聞かせるように口にし、孤独に生きる主人公・凪沙は、育児放棄に遭っている従妹の娘・一果を預かることとなり、物語は大きく展開していきます。
性転換手術を受ける夢を叶えるために自分のことだけを考えながら、必死で東京の街で生きてきた凪沙は、当初一果に愛情を持てずに最低限の世話だけをしようとしますが、彼女の自傷行為の跡を見て、自分と同じ孤独を感じ、次第に自分の中にある母性を目覚めさせていきます。
バレエ教室の先生から「お母さん」と呼ばれ、思わず笑みをこぼしてしまう凪沙の姿はまるで本当の母親のようで草彅さんの感情豊かな演技は本当に見事です。
一果とともに夜中にバレエの練習をするシーンは、タイトル「ミッドナイトスワン」を表現したような美しい映像に仕上がっており、ハイライトとも言うべきシーンに仕上がっています。
一果がバレエコンクールで踊れなくなってしまった事件をきっかけに本当の母親になるため、性転換手術を受けた凪沙が広島の田舎まで一果を迎えに行くシーンでは、トランスジェンダーについて理解することが到底できない親族たちから凄まじいバッシングを受ける様子が描かれます。
昨今では、少しずつLGBTQについて頻繁に議論されるようになりましたが、未だ世間一般に浸透しているものではなく、凪沙のように親族からも理解されることがないまま、孤独に生きている人たちがきっとたくさんいるのだと思います。
バッシングを承知の上で、女性の姿のまま、大嫌いな実家に向かっていく凪沙の姿は、非常に美しく胸が熱くなります。
映画の終盤では、手術の後に体調を崩してしまった凪沙が一果とともに海へと向かい、息絶えるシーンが描かれ、ラストは一果が凪沙の死を無駄にしないように海外でバレリーナとして奮闘する姿で締めくくられます。
凪沙の切なすぎる結末については、賛否両論があると思いますが、一果にとって凪沙はきっと精神的な意味では本当の母親になっているはずです。
「一果の母親になりたい」という気持ちを募らせていた凪沙も、一果が自分の助言通りにバレエを続けているということであれば、きっと報われるのではないでしょうか。
『ミッドナイトスワン』のみんなの口コミ評判レビュー
★★★★★星5
あまり現実的なストーリーとは思えなかったのですが、凪沙役の草彅剛さんも、一果役の服部樹咲さんも、演技と佇まいにリアリティと説得力があり、すっかり作品に引き込まれてしまいました。
バレエ経験者とはいえ、服部さんの踊りに、登場人物たちと同じ気持ちで惹きつけられました。
りんの死、凪沙の死、一果のバレリーナとしての成功等、ストーリー展開にやや強引さを感じたものの、草彅さんの感情の移ろいや行動の演技は、ナチュラルさと強さが共存し、凪沙というトランスジェンダーの生き様を見せつけられたような気がしました。
草彅さんと服部さんの存在と演技に依るところが大きいですが、見た人の心を動かし、哀しみと喜びが同時に味わえる秀作だと思います。
50代女性
★★★★☆星4
生まれた環境や性別によって望むような人生を送ることができず、生きるのが苦しいと感じながらも、置かれた場所で生きていくしかないと絶望している一果を、時間とともに自分の人生に重ね、応援に回っていく凪沙の心の変化が丁寧に描かれていたと思います。
預けられるのは叔父だと思っていた一果が凪沙の姿を見たときの何とも言えない表情から、諦めやガッカリ感が感じ取れ、同時に凪沙からも面倒くさいという心の叫びが態度や言動から出ていて、そんなに強く当たらなくてもと最初は感じたものの、それは決して甘くはなかった凪沙の人生を思うと、当然なのだとあとになればわかる。
そして、バレエ教室との出会いを期に一果の表情がいきいきしていくのに連れて、姪に向けるそれとは違う特別な感情を抱き始める凪沙の、葛藤と希望が行き来する感情がリアリティがあり、愛とは何かを気付かされた気がしました。
30代女性
★★★★★星5
Netflixで見ました。
元々草彅くんのドラマはほとんど見ていたので演技力が楽しみで見始めたのがきっかけでした。
が、すごく良い映画で皆んなぬおすすめしたいです。
草彅くんの役のトランスジェンダーの歩き方仕草などまずそこから演技力のすごさを感じました。
内容はトランスジェンダー、血縁関係、親子関係全てを考えさせられる内容でした。
預かった子を本当の娘のように思い母性がだんだんと湧いてくる。私も子供がいますが本当同じ気持ち、もしかしたらそれ以上ではないかとも感じました。
自分を犠牲にして?原動力になる毎日。
子のために働いたり考えたり夢を一緒に叶えたいと思う親子の物語。
涙なしには見れませんでした。
それをだんだん受け入れて本当の母親を思う子の気持ちになっていくのも胸を打たれました。
自分ももっとできるのでは?人を思いやることをできるのでは?と考えさせられる作品でした!
50代女性
★★★★★星5
草彅剛主演、話題の作品ということで鑑賞しました。
何よりも印象に残ったのが草彅さんの繊細な演技です。
冒頭の社会の片隅で生きる、自分のしたい生き方をしているけど、やはり荒んだ、満ち足りない日々の中で、田舎の母親に頼まれて嫌々引き受けた姪との関わりの中、誰かのために生きること、誰かに必要とされることで満たされていく変化の微妙な表現が素晴らしかったです。
彼が男性かどうかは関係なく慈愛に満ちた母の顔でした。
穏やかで満ち足りた日々をまた急に土足で踏み込まれ、踏みにじられた後、リスクを承知しながら心だけでなく体も母になりたい強い覚悟をみせた実家でのシーンは、人の思いの強さと迫力をスクリーン越しでも感じさせ、圧巻でした。
一香が凪沙の愛と願いを胸に抱え先に進む姿は、凪沙の短くて幸せでない時間が多かったろう人生の輝きが詰め込まれていて切なく、美しかったです。
草彅さんがこの役を演じて、本当に良かったです。
50代女性
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