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マトリックス・レザレクションズの考察解説|モーフィアスやエージェント・スミス、続編などについて【あらすじネタバレや感想評価も】

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2021年12月17日、日本公開の『マトリックス・レザレクションズ』。

約20年ぶりの続編となるマトリックスシリーズの第4作目です。

ネオ役のキアヌ・リーブスやトリニティ役のキャリー=アン・モスなどが引き続いてキャストを務めています。

映画『マトリックス・レザレクションズ』の口コミ評判レビューには、

  • 戦闘シーンも迫力があり圧倒されるシーンが多い
  • モーフィアスやエージェントスミスが別の人で残念だった
  • 思ってた内容とは違ってガッカリ
  • 過去作を見直してから鑑賞するのがおすすめ
  • ハッピーエンドに終われた感じ
  • 時間と制作費がふんだんにかけて作られた贅沢感がある
  • アクションの表現が細部までこだわりを感じれた
  • アクションは前作3作に比べるとやや控えめ

という声が多数集まっています。

この順番でチェック
  • マトリックス・レザレクションズの考察解説
  • モーフィアスやエージェント・スミス、続編などについて
  • マトリックス・レザレクションズのあらすじ
  • マトリックス・レザレクションズの感想評価
  • みんなの口コミ評判レビュー(※ネタバレ有)

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マトリックス レザレクションズを考察解説!モーフィアスやエージェント・スミス、続編などについて

なぜモーフィアスは別人だった?レザレクションズのモーフィアスを解説考察

モーフィアスが3部作とは完全に別人

『マトリックス レザレクションズ』では、前3部作のキャラクターが多数登場しています。

しかし、『マトリックス レボリューションズ』から60年後となる今作の世界では、当然、各自が何らかの変貌を遂げています。

その中でも最も変化が激しかった人物がモーフィアスだと言えるでしょう。

管理人

後述するスミス役がヒューゴ・ウィービングのスケジュールの関係で別人に交代したのと違い、モーフィアス役は初めからローレンス・フィッシュバーンが続投しないことが決まっていました。そして、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世の起用が発表された時、若々しくなったモーフィアスがどのような役割を持つのか、様々な憶測を呼びました。

なぜローレンス・フィッシュバーンではいけなかったのでしょうか?

その理由は端的に言うと、モーフィアスが3部作とは完全に別人、それどころか人間ですらなくプログラムだからです。

冒頭、モーフィアスはエージェント・スミスとしてモーダルの中に登場しました。エージェントでありながら己の役割や世界について疑問が生じた彼は使命に背いてバッグスを助け、赤いカプセルによってかつてのモーフィアスとしての記憶を取り戻します。

しかし、その正体は、モーフィアス本人が語ったように、トーマス・アンダーソンがゲーム「マトリックス」のモーダル内に作ったプログラムだったのです。

トーマスはネオとしての記憶を無くしながら、潜在意識下ではエージェント・スミスとモーフィアスという本当のネオを引き出した(しかし立場は正反対の)存在を融合したキャラクターをモーダル内に作っていました。

モーダルとはもともとIT用語で機能が制限されている状態、主にモーダルウインドウのことを指します。

モーダルウインドウは、例えばログイン画面などの子画面で、入力するか閉じるかしなければ親画面の操作ができない閉ざされたウインドウです。

劇中のモーダルとは、言わばマトリックス内に作られたループする別世界ということでしょう。

管理人

バッグスはそれを指して「プログラムを進化させるシミュレーション」と言っています。

モーフィアスはバッグスと出会い覚醒した

トーマスは無意識にモーダルを解放していたために、進化したモーフィアスはバッグスと出会い覚醒することができました。

そのようにトーマスが断片的な記憶をもとに作成したプログラムゆえに、ネオを探し導く使命を自覚しながらも、以前のモーフィアスとは容姿も性格も異なっているのです。

もっとも、トーマスにしてみれば、自分が作ったゲームのキャラクターがいきなり目の前に現れれば、最初は自分の正気を疑い、彼の言葉を信じることが出来ないのも当然のことではありましょう。

また、プログラムということは現実世界では物理的実体がない状態(スミスを除き)でありますが、今作ではエクソモーフィック粒子コーデックスという技術によって実体を持ち、物理的な干渉が可能になっているのが面白いところです。

この技術によってモーフィアスは、現実世界でも特殊な粒子で体を構成し、トリニティ救出作戦で活躍を見せました。

管理人

エクソモーフィック粒子コーデックスはモーフィアスだけでなく、アイオでイチゴ栽培をしているマシン・プログラムのクィリオンなどにも使われています。

バッグスはモーフィアスのことをデジタル・センティエントと呼びましたが、プログラムやAIが感覚・意識を持ち、さらには実体まで備わって人間と共存しているところに、続編としての進化が現れています。

では、人間としてのモーフィアスがどうなったのか?

その点については、将軍となったナイオビが説明していました。

ネオによって平和がもたらされた後、モーフィアスはザイオン評議会の最高議長に選ばれました。

しかし、ネオへの信奉が強すぎたためにオラクルの「新しい力が生まれる」という預言も信じることが出来ません。

最終的にザイオンを崩壊に導いてしまい、命を落としたようです。

ただ、彼の彫像が示すようにそれでもモーフィアスは人々にとって英雄だったのでしょう。

エージェント・スミスが別人となった理由やネオと共闘した理由について解説考察

ネオの最大のライバルにして対となる存在だったエージェント・スミス

ネオに次いでマトリックスの顔とも言えるキャラクターでしたが、本作では前3部作のスミスのイメージからは一新されています。

まず、一番の違いは俳優がヒューゴ・ウィービングからジョナサン・グロフに交代したこと。

ヒューゴによれば2019年初頭にはラナ監督から出演依頼があり、脚本の読み合わせまでおこなったそうですが、その時点ですでにヒューゴにはロンドンでの舞台公演が決まっており、年末から翌年にかけてのスケジュールが押さえられていました。

それでも公演終了後の参加ということで撮影の話は進んでいたようですが、最終的にラナ監督は交渉を断念したようです。

このように一度はヒューゴ・ウィービングをスミス役として脚本は書かれており、もし実現していれば今とは違った役割のスミスが見られたのかもしれません。

もっとも、どちらにしても当時のままの彼が登場していたとは考えにくいでしょう。

管理人

スミスもまた新しい人物像を与えられ、ジョナサンはラナ監督からヒューゴの演技に似せないように指導されました。

今作のスミスは大企業のCEOとして優れた能力と容姿を持ち、洒落た着こなしで自信たっぷりに振る舞う姿はまるでヤッピー(ヤング・エグゼクティブ)のようです。それはアナリストにプログラムを書き換えられた結果ではあるのですが、本人はやり過ぎなほど「完璧なキャラクター」にされてしまった、と冗談めかした感想を述べています。

常識や固定観念・体制を象徴する存在として、ブラックスーツを着て無個性・無機質に淡々と任務をこなしたエージェント時代とは一転、愛想よく笑い、軽口をたたく姿に昔の面影はありません。

スミスが復活した理由については、アナリストがネオの監視役として抜擢したからだと思われます。

管理人

トーマス・アンダーソンのビジネスパートナーとして近い距離に置き、いざという時には、そのネオと同等の能力をぶつけるつもりだったのでしょう。

(さすがに自分をコピーする能力は危険過ぎるので削られたようですが。)

しかし、結局はかつてのスミスとしての記憶が甦ってしまい、自由意志に基づき一度はネオと戦いますが、最後には共闘してアナリストを打ち倒すこととなりました。

マトリックスのシステムから解放された後もネオから全てを奪うことが己の存在意義とばかりに行動していた以前のスミスとは違い、ネオとは不俱戴天の敵ではなく、邪魔になるなら戦うが利用できるなら利用する、程度の関係性に見えます。

本作でのスミスの行動原理は今1つ詳しくは描かれていませんが、はっきりしているのは、自分を弄びマトリックスをコントロールしているアナリストの排除です。

管理人

エグザイルたちと手を組みネオを襲ったのも、ネオがその妨げになると判断したからでした。

ネオたちとアナリストの戦いに乱入したのも、単にアナリストを倒す絶好の機会だったからであり、ネオを救う結果になったのも偶然にすぎません。

ただ、今回のスミスは自主性を持ち、自由を強く望んでいるふしがあります。

決してネオの味方ではないが、完全なる敵でもないスミス。

この設定が今後どのように展開するのか全く予測がつかないだけに、もし続編が作られるなら、非常に描写が楽しみなキャラクターであります。

マトリックス・レザレクションズの全体を解説考察

2021年12月、マトリックスは大方の予想通り、さらに深く難解な作品として帰ってきました。

そもそも、サブカルチャーに造詣が深く前3部作のアクション面に大きな役割を果たした妹リリーが降板し、新たに脚本にデイビッド・ミッチェルとアレクサンダー・ヘモンの参加が決定した時点で、本作が単純なプロットに収まるはずがないことは誰の目にも明らかでした。

この2人の著名な作家は、ウォシャウスキー姉妹の作品「センス8」の最終話の脚本に携わっており、特にデイビッドは「クラウドアトラス」の原作者でもあります。

ただ、あまりにも情報量が多くトリッキーな本作ですが、整理していくと作品を構成する核となる要素が幾つか見えてきます。

ここでは、本作を理解する一助となるそれらの要素を取り上げていきたいと思います。

管理人

①極私的映画としての作品

『マトリックス レザレクションズ』のそもそもの出発点は両親の死に直面したラナ監督の哀傷であり、そこからの癒しを求める行為が作品へと昇華されました。

大事な人たちを失ったが故に、ラナ監督は同じく自分にとって大事な人たちを復活させたのです。

過去、ワーナーブラザース社から幾度となく続編を要請され、その度に断ってきたラナ監督ですが、ついにそれは他でもない自分のために作られることになりました。

妹リリーについては、自分なりの方法で喪に服すということで参加しなかったので、今回は完全にラナ単独での監督となります。

同時に、本作はあまりにもヒットしてしまったが為に一般化され個々人の思うまま消費されてきたマトリックスシリーズを自分の手に取り戻す試みでもあったと思われます。

そのために、良くも悪くもマーケティングや商業主義とは程遠い、非常にクセの強い作品となったことは確かでしょう。

それにしても、これだけの超大作を、世界観を壊すことなく監督個人の物語に収斂させてしまう大胆さと手法には驚かざるを得ません。

②メタフィクション構造

本作最大の特徴にして困惑をもたらす要因が徹底したメタフィクション構造です。

この『マトリックス・レボリューションズ』後のバージョン7のマトリックス世界では、前3部作の歴史がゲーム「マトリックス」の出来事として人々に共有されています。

そこで人々が「マトリックス」について語る内容は、まるで現実と同じです。

とにかくバレット・タイムだけ求める者。「映画もゲームも物語も死んだ」とうそぶき安易な猫動画を作ろうとする者。

果ては親会社は「マトリックス」を作者から取り上げて自分たちで新たな続編を作ろうとしています。

管理人

これらはまさしく現実に対する痛烈な皮肉です。

本作には前3部作の映像も直接的に挿入され、それら過去のマトリックス、バージョン7の新しいマトリックス、そして観客の存在している現実が混在し、我々の意識を揺さぶります。もしかしたらネオの風貌が「ジョン・ウィック」そのままなのも、現実と混同させる意図があるのかもしれません。

観客はマトリックス世界を堪能しながら、嫌でも現実と向き合わざるを得なくなるのです。

こうしてメタフィクション構造は監督のメッセージを伝える有効な手段となりました。

③トランスジェンダーの視点

マトリックス3部作の後、共にトランスウーマンであることを公表したウォシャウスキー姉妹

当時、マトリックスがトランスジェンダーとしての視点で語られることは稀でしたが、リリーは2020年にNetflixのインタビューにおいて、マトリックスはトランスジェンダーの物語でもあることを明言しました。

今、その視点であらためて3部作を観返すと多くの発見があります。

しかし、それらはいずれも間接的な表現であり隠喩(メタファー)に留まっていました。

それは当時の社会にまだトランスジェンダーを受け入れる準備が出来ていなかったからです。

ですが現在では、社会的マイノリティおよび性的マイノリティは確実に世間一般に認知され、充分ではないにせよ不利益を被ることの無いよう制度の改革も進んでいます。

自身があるべき姿となり、社会にも受容の意識が成長してきた今、ラナ監督のメッセージはより強く、より直接的になりました。

その表現はもう隠喩ではなく直喩(シミリ)と言うべきものでした。

管理人

本作の悪役であるアナリストは分かりやす過ぎるほど古い価値観に囚われたミソジニストであり、虹(レインボーフラッグはLGBT運動の象徴でもある)を嘲笑するセリフから性的マイノリティ差別者であることもうかがわせます

人々の感情を利用してマトリックスから覚醒させないようにしてきたアナリストですが、男性であるネオには社会的成功を与え、女性であるトリニティには家庭を与えている点も、いかにも前時代的な発想です。

それに対し本作は男性優位の社会にNOを突きつけ、ネオは救世主の役割から降り、新たに女性であるトリニティがその座に就きました。

ラストでアナリストを叩きのめし、マトリックスを好きに作り変えるというトリニティの決意表明は、そのままラナ監督の思いでもあるでしょう。以前のマトリックス世界が暗緑色を基調とした冷たいイメージだったのに対し、本作では自然光に満ちた美しさが際立つシーンが多いのも、監督の変化の現れかもしれません。

何にせよ、心が体を超越し、自由意志のままに変革を遂げることを描いたマトリックスシリーズを、今後トランスジェンダーの視点抜きに語ることはできません。

④派手なアクションに対するアンチテーゼ

本作は前3部作に比べ、圧倒的にアクションシーンの満足度が低い結果となっています。

これはリリーの不在によるものと思われましたが、それ以前にラナ監督にはアクションの演出を抑える意図があるように見受けられます。

バレット・タイムを皮肉る表現から分かるように、ラナ監督はもともと副次的な要素でしかなかったアクション演出が自分たちの哲学・メッセージよりも求められることを苦々しく思っていたに違いありません。

本作はそういったアクションばかりを求める声に対してのカウンターでもあります。

もちろん本作にも最新VFX技術を駆使した高レベルのアクションシーンはありますが、それは多くの場合、回避や防御的行動でした。

何より観客が一番期待しているネオのアクロバティックな戦闘は存在せず、防戦一方であることがアクションに比重を置かない姿勢を物語っています。

管理人

安易に過去のアクションシーンをなぞることなく、むしろ排除してしまったことは非常に勇気の要る行為であり、並みの監督に出来ることではありません。

ただ、面白さという根本の部分が失われた点は大きな代償であります。

⑤進化した世界観

常に時代を先取りしてきたマトリックスシリーズですから、当然のことながら今回もデジタル技術は大きく飛躍しており、さらなる未来を体感させてくれます。

『マトリックス・レボリューションズ』で示唆された機械と人間の共存という課題も引き継ぎ、それはアイオにおいて小規模ながら成功を収めていました。

その最たる例が、植物学者フレイアと共に農作物栽培を研究しているクィリオンです。

管理人

クィリオンはモーフィアスと同じくエクソモーフィック粒子で構成されたプログラムですが、人間と共生し人工の空バイオスカイを作り出しただけでなく、イチゴの栽培までを可能にしています。

その他にもクジャク、シベーベ、オクタクリーズ、ルーミン8といった機械たちが仲間となっています。

そのように、人間に協力する機械は「マシン」ではなく「シンシエント」と呼ばれています。

「アニマトリックス」のエピソード「マトリキュレーテッド」では、人間が機械をなかば洗脳するようなかたちで味方につけていましたが、シンシエントはそれとは違い、かつてのオラクルのように人間に理解を示す機械・プログラムが現れたということだと思われます。

また、例によってIT関連の新アイデアも数多く、モーフィアスが閉じ込められていたモーダル(子画面)、マトリックス内の外見を変更させるデジタル自己イメージ(アバターのようなもの。これによりネオは老人の姿にされ、発見されなかった)、人間と見分けのつかないプログラムのボット等、いずれも我々の生活で身近な存在が登場しました。

特にボットはオンラインゲームでも度々問題となっており、それが大挙して襲ってくる恐怖というのはタイムリーではないでしょうか。

これらマトリックスならではの新設定も作品世界の完成度を高める大事な要素です。

⑥二項対立を超えた価値観

トーマス・アンダーソンはゲーム「マトリックス」の続編として「バイナリー」を制作していますが、完成はしていませんでした。

それが暗示するかのように、本作は二項対立では捉えられない第3の選択に溢れています。

二者択一の連続だった前3部作とは大きな違いです。

敵か味方か、人間か機械か、男か女か、そんなことはもう重要ではないのです。

管理人

機械でも人間と共存するものはいるし、モーフィアスのようなデジタル・センティエントはプログラムと人間の中間の存在です。

スミスも、敵とも味方ともつかない関係ですし、女性キャラクターも単なるサポート役に留まることなく活躍を見せます。

マトリックスからの覚醒か眠りか、ということさえ、人々が覚醒を望まないならばネオたちも無理強いすることはありません。

1作目においてモーフィアスは覚醒していない人間を「敵」だと断言しましたが、本作では眠ったままの状態を望む者もいるという現実の複雑さ、多様性を反映し、単純にそれらを排除すれば解決とはならないのです。

ただし、それならば人々を変えるのではなく世界を変えるという、ある意味ではより過激な答えが出ています。

現実でも、いつまでも古い常識や既成概念に縛られ変化を拒む者は大勢います。

しかし、世界はいつだってその者たちを置き去りにして進歩してきたのではないでしょうか?

人権意識の高まりにせよSDGsにせよ、眠れる者は排除されないまでも、世界のアップデートに取り残されることは確実です。

⑦根底にあるのは愛の物語

マトリックス3部作の根底には「愛」がありました。

亡くなった両親の愛情が自分を育てたことをあらためて実感し、ラナ監督は再度、愛を本作の重要なテーマにしています。

製作者として、かつては物語の必然性から悲劇的な結末を迎えたネオとトリニティを、今度こそ幸せにしてあげたいという思いも強かったことでしょう。

本作の2人の愛情は過去作に増して、実に美しく表現されています。

管理人

キアヌ・リーヴスとキャリー・アン・モスの老いをあえて隠さない自然なメイクも効果的でした。若さや勢いだけではない落ち着いた大人の愛がそこには感じられました。

特に、ネオがトリニティに対し、一緒に現実世界へ行くか、家族とマトリックスに残るかの選択を完全に委ねるエピソードからはその深さが伝わってきます。

そしてラストシーンで2人は共に手を取りあって空を飛び、世界を変えることを決意しました。

本作はネオの英雄譚ではなく、2人が揃って世界をより良く変えていくことが肝要なのです。

本作のキーヴィジュアルが、ネオとトリニティが並んだシルエットを多用していることもそれを象徴しています。

何より、「ママとパパへ、すべては愛から始まる」というエンドロールに流れるラナ監督から両親へのメッセージこそが全てを物語り、観る者の心に響くものとなっています。

続編・マトリックス5の可能性について解説考察

マトリックスシリーズのネームバリューはあまりにも大きく、その新作が登場したとなれば、誰もが気になるのは「それは新たなトリロジー(3部作)の始まりなのか?」ということではないでしょうか。

AP通信エンターテイメント部門は、撮影地サンフランシスコで開催されたプレミアイベントにおいて、まさしくその疑問について答えるラナ監督の様子を報道しています。

しかし、残念ながらラナ監督の回答は明確な「NO」でした。

もともと本作は長年にわたる構想ではなく、ラナ監督の爆発的な閃き、感情の発露から生まれた作品だけに、長期化する性質のものではなかったのです。

主演のキアヌ・リーヴスも、英エンパイア誌のポッドキャストに出演した際、ラナ監督は続編を作らないであろうことを語っています。

また、前3部作の助監督を務め本作ではプロデューサーとなるジェームズ・マクティーグも、ウェブサイト「collider」のインタビュー内で、続編も前日譚も考えていないと同様に否定しています。

管理人

このように、関係者が一様に続編の存在を否定する以上、観客がどれだけ望んだとしても、次回作が、ましてトリロジーが製作される可能性は極めて低いものと思われます。

一方でワーナー・ブラザース社は、CEOのアン・サーノフが「ラナ監督が映画を作りたいと望むときはいつでも、我々全員が参加する」とウェブ・マガジンDEADLINEに答えており、続編については歓迎の模様です。

もっとも、同社は劇中でその商業主義を揶揄されたように、続編に前向きでなかったウォシャウスキー姉妹抜きでリブート作品を製作しようとした経緯があります。

幸い本作はラナ監督の意欲によって正統なる続編となりましたが、今後、彼女たちが関わらない番外編としてのマトリックス作品が登場しないとも限りません。

今のところ『マトリックス レザレクションズ』の続編となる『マトリックス5』の製作については悲観的な状況にあるわけですが、先のジェームズ・マクティーグはインタビューにおいて、作品にはまだ深く掘り下げる余地があることに言及しています。

それは例えば『マトリックス レボリューションズ』後の空白の60年間や、ラストシーンでトリニティが言った「世界を自由に作り変える」ことの具体性といった部分です。

また、それ以外にも、黒幕であるアナリストが語った上位の存在である「スーツども」とは何者なのか、今回のスミスの目的は何なのか、人間および機械の今後の方向性等、本作だけでは分からない点が多々あります。

難しいとは分かっていても、いちマトリックスファンとしては更なる壮大な物語が展開することを期待してしまいます。

管理人

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マトリックス・レザレクションズのあらすじ

以下、映画「マトリックス・レザレクションズ」のあらすじです。

マトリックス・レザレクションズのあらすじ|書き換えられた記憶

伝説の救世主ネオを探し求めるバッグスは、侵入したモーダル(コンピュータ用語で子画面のこと。マトリックス内に作られた閉じた世界のプログラム)内で、エージェントの一員となっているモーフィアスと出会い、覚醒させます。

一方でネオは、マトリックス内で世界的ゲームクリエイター「トーマス・アンダーソン」としての生活を送っていました。

この世界では、過去のネオたちの活躍はトーマスの作った大ヒットゲーム「マトリックス」での出来事ということになっていたのです。

トーマスには、かつてのネオの記憶は無く、時おり蘇る記憶の断片もゲームと現実の混同だと思い込み、アナリスト(精神分析家)の治療を受けているのでした。

さらにはトリニティもまた、夫と2人の子を持つティファニーという別人物になっており、トーマスとティファニーの間に面識はありませんでした。

ある時、トーマスの会社にモーフィアスが現れ、トーマスを現実世界に戻そうと試みますが、駆け付けた警官隊と激しい銃撃戦になってしまいます。

混乱の最中、会社の上司であるスミスも、エージェント・スミスだった記憶が戻り、トーマスに銃口を突き付けるのでした。

ところが次の瞬間、トーマスが我に帰ると、彼はアナリストの部屋でカウンセリングを受けている最中でした。

先ほどの銃撃戦の痕跡はなく、トーマスはいよいよもって正気を失ったと思いこみます。

その夜、酩酊したトーマスは過去の記憶をなぞりビルの屋上から飛び降りようとして、間一髪のところをバッグスに救われました。

マトリックス・レザレクションズのあらすじ|ネオの覚醒

バッグスはトーマスを促し、バックドアからトーマスを連れ出します。

そこでモーフィアスと再会したトーマスは過去の映像を見せられ、今度こそ真実を知るための赤いカプセルを飲みました。

トーマスはついにマトリックスから解放され、ネオとして現実世界のポッドから起き上がります。

人間に協力する機械(シンシエント)によって救出されるなか、ネオはトリニティもポッドに囚われているのを目撃しました。

バッグスたちの拠点であるムネモシュネ号へ合流したネオは、自分が救世主として人類と機械の和平をもたらした後に何が起こったかを知らされます。

ネオが命を賭けて勝ち取った平和も長くは続きませんでした。

希望する人間をマトリックスから解放することで、機械たちは電力不足に陥ったのです。

それにより機械間で戦争が起こり、管理者も交代。新たな管理者は人間との約束を反故にし、ザイオンも崩壊しました。

ネオの知る世界から、現在は60年もの時間が経過していたのです。

一行はザイオンに代わる都市アイオに帰還した後、将軍ナイオビの反対を押し切り、トリニティ(=ティファニー)を救うべくマトリックスへ向かいます。

ネオはティファニーに真実を話し、現実に戻るよう説得しますが、彼女はそれを信じることができません。

するとそこに突然アナリストが現れ、ネオ復活の真相を語ります。

スミスとの戦いで命を落としたネオやトリニティは、アーキテクトに代わる管理者アナリストによって、2人の高エネルギーを利用するために蘇生されたのです。

アナリストは嘲笑うかのように、以前のネオと同じバレット・タイムの能力を使い、その力の前にネオはなすすべがありませんでした。

アナリストは、ネオがマトリックスへ戻らなければトリニティの命はないと警告を残して消えました。

マトリックス・レザレクションズのあらすじ|トリニティ救出作戦

苦境に立たされたネオたちですが、意外な人物が協力を申し出ます。

それは愛を知るプログラム、サティーでした。サティーは父ラーマ・カンドラをアナリストに消去されており、彼の危険性を早くから認識していたのです。サティーの提案によって、ネオたちはトリニティ救出作戦を開始します。

ネオはアナリストと交渉し、もう一度ティファニーが現実に帰ることを拒否すれば自分はマトリックスに戻る、その代わり彼女が現実を選んだら2人とも解放してもらうという条件を承諾させました。

その一方では、バッグスらが同時進行で現実世界のトリニティ本体をポッドから連れ出します。

ネオの説得を再度拒否するかに見えたティファニーですが、突然その展開に既視感を覚えると、自分がトリニティであることを思い出します。

ネオの許へ駆け寄るトリニティ。

しかし、アナリストは約束を守る気はなく、警官隊が2人を取り囲みます。

以上、「マトリックス・レザレクションズ」のあらすじでした。

果たしてネオとトリニティはマトリックスから脱出できるのか?

それとも力ずくで生体電池とされてしまうのか?

その続きが知りたい方は、実際に映画を観てみることをおすすめします。

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マトリックス・レザレクションズの感想評価とみんなの口コミ評判レビュー(※ネタバレ有)

以下、映画「マトリックス・レザレクションズ」の感想評価(ネタバレ・ラスト結末含む)と口コミ評判です。

感想評価(※ネタバレ有)|マトリックスは、より先鋭化し、変革を促すものに

空を飛んでいたのはネオではなく…

ネオとトリニティは仲間と共に警官隊を蹴散らします。アナリストは再びバレット・タイムを発動しました。

またしてもアナリストの動きに反応できないネオ。かつての救世主としての力も全てが戻ったわけではありませんでした。

しかし、突如そこにスミスが参戦しますが、マトリックスのコードを書き換える能力を持つスミスは、バレット・タイムの中でもアナリストを捉え、銃弾を叩きこみました。

スミスにとって、アナリストはネオよりも目障りな存在だったのです。

管理人

ネオとトリニティはバイクで脱出を図りますが、街全体がボット(人間のように生活しているプログラム。ひとたび命令があれば狂暴化し侵入者を襲う)と化し、彼らに襲いかかってきました。ネオは念動力を駆使し、大量のボットをかわしていくものの、ついに彼らはビルの屋上へと追い詰められてしまいます。

ヘリに包囲されたネオとトリニティは朝焼けの中で愛を誓うと、手をつなぎ意を決してビルから飛び降りました。

ネオが力を取り戻し、空を飛べると信じて。

次の瞬間、果たして2人の体は宙に浮いていました。

ただし、空を飛んでいたのはネオではなくトリニティの方だったのです。

2人はそのまま空高く飛翔し、マトリックスを脱出します。

後日、アナリストのオフィスをネオとトリニティが意趣返しに訪れます。アナリストは悪びれもせず、女性憎悪をむき出しにしてトリニティを侮辱します。

トリニティにさんざん痛めつけられながら、なおもアナリストは「羊のように隷属したがる人類は目覚めることを望んでいない」と言います。

しかし、トリニティは「ならば世界を好きに作り直す」と宣言するのでした。

愛の要素を物語の中心に据える

社会現象にまでなった伝説的名作「マトリックス」公開から約20年を経て、意外なかたちで3部作の続編は製作されました。

本作のパンフレットにおいて、ラナ・ウォシャウスキー監督は、このように語っています。

「続編を作る気はなかったが、両親の死に立ち合い悲しみに暮れていたとき、自分にとって同様に大事な人物ネオとトリニティの復活の物語が突如として閃いた」

また、両親の愛が自分を成長させたこと、それが今もこの世界に残っていることを実感し、3部作の根底にもあった愛の要素を物語の中心に据えることにしたそうです。

もちろん、それ以外にもこの20年でラナ監督が直面した様々な経験に対する思いが詰まっていることは間違いありません。

例えばそれは、ラナ監督自身の大きなターニングポイントである性転換や、それに対する周囲の反応であったり、ワーナー・ブラザース社との確執であったり、大ヒットしたが故に世間一般に自分勝手に消費される「マトリックス」であったりするのでしょう。

まずは、本作が綿密な計画に基づいて製作されたわけではなく、ラナ監督のいわば爆発的な感情によって生み出されたパーソナルな作品であることを理解する必要があります。

管理人

さて、そのように本作を観ていくと、もう最初からこの映画が観客や製作会社に媚を売る気はなく、監督が本当に表現したいものが描かれていることが分かります。

冒頭のループ構造に始まり、前半は徹底的にメタフィクション的展開が繰り広げられ、観客はまたしても頭をフル稼働させることになります。

受動的な鑑賞をこの映画は許しません。(ついでに言うと前3部作の内容把握も絶対条件です。)

例えば親会社がゲーム「マトリックス」を製作者から取り上げようとしていたり、製作メンバーが同作について勝手な解釈で批評し、安易で中身のない続編を作ろうとしている描写などは、現実に何があったかを想起させる痛烈な皮肉です。

特に思い出すのは2020年にイーロン・マスクが「マトリックス」を引用して「Take the red pill(赤い薬を飲もう)」とツイートし、イヴァンカ・トランプが「Taken!(飲んだ!)」とリツイートしたものに、ラナ監督の妹リリーが「Fuck both of you(二人ともくたばれ)」と応じた一件です。

どういうわけか近年「マトリックス」はオルタナ右翼に「人種や性による差別は幻想で、現実には存在しない。だから赤いカプセルを飲んで現実を直視せよ」という意味で引用されることが多かったのです。リリーにしてみれば、あらゆる被差別者を勇気づける自分たちのメッセージが、よりにもよって逆の立場の差別・偏見・憎悪を作り出す者たちに歪曲されて使われることに我慢ならなかったのでしょう。

そして後半、ネオがトリニティを救うべく動き出してからは物語が一気に加速するのですが、今回はネオが救世主ではなくなっていることが重要です。

管理人

ネオは救世主としての役割を終え、今度は単純に一人の人間として愛する者を救うのです。

むろん、依然として超人的な力や念動力は使えるのですが、その力は主に防御的な用途に留まっていました。

何しろ本作において救世主の力を覚醒するのはトリニティの方なのです。

それは旧来の創作物において主流であった、男性(それも白人が多い)がヒーローとなり、女性はそれをサポートする存在という男性優位の価値観からの脱却を意味します。

加えて、防戦一方のネオよりむしろバッグスの方が生き生きとしており、主人公のようにも見えました。

本作ではトリニティを始め、バッグス、ナイオビ、レクシー、サティー(プログラムに性別は無いが)たち女性陣が確固たる信念を持って行動していたように、女性の自立に焦点を当てているのが明らかです。

ラストシーンにおいても、悪役であるアナリストのセリフはミソジニスト(女性嫌悪者)そのものでした。

トリニティの名前をあえてティファニーにしたのも、古典的名作ではあるものの男性に従属する女性の代名詞的存在となっている「ティファニーで朝食を」からの引用であり、アナリスト流のジョークだったのです。

しかし、トリニティはアナリストを完膚なきまでに叩きのめし、「マトリックス」1作目のラストからさらに進んだ決意表明をします。

1作目でネオはマトリックス内の眠れる人々に真実を見せて覚醒させることを宣言しましたが、本作のトリニティは人々が覚醒しようとしないなら世界そのものを作り変えようとしているのです。

やはり『マトリックス レザレクションズ』は愛の讃歌でもあり、何より観客に変革を求める「マトリックス」シリーズの紛うことなき続編だったのです。

管理人

本作のトリッキーな作りに最初は驚きましたが、その核となる主張は意外なまでに前3部作と共通するものでした。

それどころか、その監督のメッセージは先鋭化し、より強く我々に訴えかけていると言えましょう。

ラナ監督の憎悪より愛を、差別より平等を、強制より自由を訴える思想には全面的な賛辞を贈りたいと思います。

ただし、本作には悲しいかな、致命的な欠点があります。

それは娯楽性の欠如です。

ラナ監督の思想に共鳴はしますが、では『マトリックス・レザレクションズ』が文句なく面白かったか、と問われれば答えは「NO」と言わざるを得ません。

前3部作の革新的なアクションシーンを創造した妹リリーが不参加の時点で危惧はしていたのですが、本作のアクションには全くカタルシスを感じないのです。

確かに前作においても、真に重要なのは監督のメッセージであり、目を見張るアクションは客寄せの役割ではありました。

しかし、特に1作目に顕著なように、以前はネオたちの活躍というアクションのカタルシスが、強制される偽りの価値観やシステムからの脱却、という作品のテーマに結びついており、深く考えず鑑賞したとしても、監督の言わんとすることが自然に頭に入ってきたものです。

それに何よりアクションの質自体が異次元のレベルにあって、観る者を興奮させました。

それに対し本作のアクションは、新鮮味に欠ける、必然性が無い、見づらい(特に新幹線での戦闘シーン)、ケレン味がない、といった残念な結果になっています。

また、メタフィクションという先鋭的な試みは、より現実との結びつきを認識し易くしますが、同時に物語に浸る快感を著しく阻害します。

正直、いちマトリックスファンとしては、夢中になったバレット・タイムの映像を含めた過去を茶化されたようで、良い気分にはなれませんでした。

思うに、本作は監督のメッセージが前に出過ぎてしまい、観客に映画を楽しませることが二の次になってしまっているのではないでしょうか?

その結果、メッセージ性に重きを置いたバランスが「マトリックス」として成立し得る限界点まで達してしまっていると思うのです。

これ以上監督のメッセージ性が強くなれば、「マトリックス」であることの意味、果ては映画である必然性を失いかねません。

管理人

ラナ監督は未来志向であり、過去に立ち返ることを良しとしなかったのでしょう。

ならば次こそは革新的な映画に相応しい、誰も想像のつかないアクションという続編作品を期待してしまうところです。

『マトリックス レザレクションズ』の皆んなの口コミ評判レビュー

映画『マトリックス レザレクションズ』の口コミ評判レビューには、このような評判が多い印象です。

「アクションもネオの覚醒に合わせていく過程が、良く表現できていた」「最大限に楽しむのであれば過去作の視聴は必須」「期待値が高まりすぎていて、評価は高くない」「難解な部分もあったので、もう一度過去作品を復習してから、再度見てみたい」

それでは、実際の口コミ評判レビューを詳しく見て行きましょう。

★★★★☆星4

子供と一緒に公開日翌日に鑑賞しました。前日に『マトリックス レボリューションズ』を観ていたのですが、正直観てて良かったです。

前3部作からストーリーが繋がっているので観ていないと、話が理解できないです。

今作はアクションシーンでいうと1の様な革新的な要素はないですし、2の終盤での高速道路のアクションシーンのような凄さもないですが、まあ楽しめます。

昔のキアヌと比較してはダメだと思うのですが、中盤のモーフィアスとの格闘シーンは1と比べるとどうも見劣りしてしまいます。

すっかりもっさりしてしまったキアヌですが、ジョンウィックでのアクションシーンも頑張っていますし、今作でもなんとか体を動かしています。

キレ味は大分落ちましたが・・・。

なによりネオやトリニティがまたスクリーンに戻ってきてくれたのがマトリックスファンとしては嬉しいですし、次回作にも期待しています

若手の新規キャストは、新鮮味があって非常に良かったです。けど、エージェントスミスはやっぱりあの人が演じて欲しかったですね。

40代男性

★★☆☆☆星2

マトリックスは大好きなので予告の時から待ち遠しく、待ちに待って見に行きました。が、期待のしすぎだったような気がします。

若ければいい、というものではないですが、マトリックスの世界観に中高年のバトルはそぐわないような気がします。

始めて観たときの衝撃は凄かった。素人なのでなにがこう、とうまく言えないのですが、スタイリッシュな映像、スッとしたキャラクターたち、スピード観があふれ、新しいことに挑戦している雰囲気が強く感じられました。

レザレクションは「老いらくの恋」とでもいうか。

最後の空を飛ぶシーンは老いたピーターパンたちが飛んでるような、新しさやイキイキとした若さが感じられないがっかり感しかありませんでした。

中高年になったらもうピーターパンじゃないと思います。

マトリックスは新しさとスタイリッシュが視聴者をわくわくさせる映画だったと思いますがレザレクションはその路線ではないような気がしてしまいました。

別物、と思って観に行くことをおすすめします。

50代女性

★★★★☆星4

『マトリックス・レザレクションズ』はキアヌリーブス主演のマトリックスシリーズの続編となっています。

完結したかに思えたシリーズに続きが出てきたのは多くの人が驚きと期待を覚えました。冒頭の展開は、今までのシリーズを知っているからこそ謎が深まり、訳のわからなさと同時にワクワクしてきて、奇しくも初めてマトリックスの1を見た時と同じ感覚を感じます。

今までとは全く違う展開に思えながらも、しっかりとマトリックスの正統続編であることが観て進めていくと分かり、非常に満足のいくものとなっています。

ある意味でこの作品は、前作のレボリューションズの結末に納得のいっていないファンの期待に応える作品になっていると思います。

ネオとトリニティーの愛をテーマにされており、2人の行く末が気になっていた私にとっては非常に満足のいく作品でした。

20代男性

★★★★☆星4

一世を風靡した大SFマトリックス前3作から約20年たっているんですよね。ずいぶん昔に感じますが、あの時の衝撃はいまだに新鮮です。新作も楽しみにしていました。

本作もキアヌリーブスさん、さすがの存在感でした。

グラフィックもマトリックスシリーズらしく見ごたえがあって流麗で見事でした。アクションは前作3作に比べるとやや控えめだったような印象を持ちました。

相変わらず、マトリックスの哲学部分は自分にとっては難解で、全作までの解説を事前に読み込んでから見たのですが、それでも理解が難しく、本作を見終わった後にいろいろな解説を読み込みました。

これほどまでに世界観を作りこんだ映画を他に知りません。制作陣に脱帽です。

30代男性

★★★★☆星4

1990年に公開されたマトリックス1はとにかくセンスが良く、まさに映画史に残る革命的な1作品であることは間違いないでしょう。

本作は1作品の続編的名前情報もありましたが、ライトにみるとあながちそれも間違っていないかもしれません。

ただ劇中にマトリックス2、マトリックス3の映像や登場人物等も出てくるので最大限に楽しむのであれば過去作を見たうえでのほうがいいと思います。

そもそも、マトリックスがどのようなSF作品なの蛙が示されているマトリックス3の背景を知った上で成り立っているのが本作だと言えるからです。

エヴァンゲリオンのような繰り返しの物語という本質を押さえてえておくことが重要です。

アクションもネオの覚醒に合わせ審がしていく過程が、良く表現できていますし、予告編でのシーンも全体の流れで見るとよりしっくりきます。

20代男性

★★★★☆星4

時間と制作費がふんだんにかけて作られた贅沢感があります。アクションの表現が細部までこだわりがあり、見ているほうがハラハラして緊張感がありました。

ロケ地もさまざまなところで行われており、世界のいろいろな場所が登場しますので、旅行が好きな方は元ネタがわかるのでそういった見方もできると思います。

マトリックス関連作品は全部見ないといけないような先入観がありますが、この作品単体で見てもストーリーが構成されていますので、より具体的なマトリックスの世界を知りたいと思わされるような作りになっているなと思います。そこはうまく誘導ができていると思いました。

主演はキアヌリーブスさんで、もともと味のある俳優さんだと思っていました。

今回の役柄を演じる中ですごいと思ったのは、テンションの上がったり下がったりの表現の仕方でした。

あまりテンションが変わらない気質を演じている部分はあるのですが、その中でもテンションが上がっているときや作戦を考えて行動をしているときや、戦闘など自分が能動的に興味を持ってやっているときはなんだかテンションが高いのです。

冷静な中での表現なのでそこは大変だったかと思いますが、そういう部分も面白かったです。

40代女性

★★★★☆星4

ラナ・ウォシャウスキーが単独で製作・監督・共同脚本を務めた、シリーズの第4作目。

公開前は、第1作目の続編だとかリブートなど、本作についての憶測の情報は錯綜していました。

しかし、いざ観てみると、昨今よくあるシリーズ第1作目の続編という、都合のいい改変ではなく、後の2作品「マトリックス リローデッド」「マトリックス レボリューションズ」を踏まえた上の正当な続編であることが、劇中、観るにつれて判明していきます。

前三部作を見た人ならわかりますが、少なくとも物語は完璧な形でマトリックスシリーズは完結していました。

これまで、幾度と続編の噂はあった中で、なぜ今なのか?という疑問もあります。配給会社の実名が出たり、リブートや続編に対しての辛辣な自虐など、本作を一人で手掛けたラナ監督でしたが、両親の死という経験があったことがきっかけになり、本作の着想のきっかけとなりました。

それによってむしろ、ありがちな続編にはならず、劇中のセリフであったように、二度目のチャンスという言葉がとても、説得あるように思えてならず、これまでダークだったマトリックスシリーズは、はじめて希望を感じさせるエンディングを迎え、これで完結でもいいと感じさせてらえました。

30代男性

★★★☆☆星3

映画『マトリックス・レザレクションズ』の公開はマトリックスファンにとっては、非常に嬉しいことではないでしょうか。

再び、ネオとトリニティが見ることができるのでとても楽しみにしていました。他の登場人物も誰が登場するのだろうとワクワクしていました。

実際に見てみた感想ですが、正直私自身期待値が高まりすぎていて、評価は高くはありません。

しかし、ファンとしては、また作品をつくろうと思っていただけたことだけでも非常に嬉しく思います。

トリニティの能力や演出がすごかったので、ヒーローもののような印象もありました。

今回は相手よりも、こちら側の能力がかなり高かったので、ドキドキするようなシーンは少なかったように思います。

少し理解できない点がありましたので、もう一度過去作品を復習してから、再度見てみたいと思います。

30代女性

*映画「」のみんなの口コミ評判レビューは当サイト『シネマヒッツTV』が独自で集めたコンテンツです。

引用の際は必ず当サイト『シネマヒッツTV』の引用リンクと出典の記載をお願いします。記載がない場合は法的処置も検討させていただきます。

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